ひとりB級ご飯のわけ
全然、ブログタイトルのコンセプト方面の話題になっていませんが、
筆慣らしでもあり、書きやすい話題から。
私は、ひとり旅派であり、ひとり飯派であります。
外食も、家飯も、たいていひとりで済ませます。
中島みゆきよろしく、《ひとりが好きなわけじゃないのよ~♪ byひとり上手》 で、もちろん気の合う友達とのご飯は楽しいし、旅というよりレジャーやテーマパーク、イベントなんかは誰かと出かけたい。
ただ、私の旅は遊山ではなく、もともと研究のための史跡や故地の実地探査などのフィールドワークが主だし、そういう場合はひとりでなければ集中できないから、ひとりで当然なのです。
ついでに、日常のしがらみを離れて、非日常の自由を味わえる、「ひとり」という醍醐味にすっかりハマってしまいました。
そもそも私は、女性にありがちの、いちいちつるんで行動するのが、昔から好きではありませんでした。
集団が苦手なんです。
女性集団には暗黙のカーストがあって、個人を尊重する意識がないから、幼稚園小学校の頃から苦手でした。どこかのグループに属さなければ学校という場での居場所がなくなり、従うしかない場が、窮屈でたまらなかった。
社会人になってからもその風潮は強かったけれど、気が合わないのに我慢するのがたまらず、昼休憩くらい息抜きしたくて、グループを抜けると同時にひとり飯派になりました。
おかげでイジメもどきにさんざん遭いましたけれど、ひとりランチの自由さは格別。ご飯以外にもいろんな行動の自由がありました。
そうして気づきます。
家庭でも学校でも、群れという集団の場では長らく、ひとりでは何もできない、女はひとりでいてはならないという刷り込みがあったけれど、
初めてひとりで出歩き、旅をしてみたら、逆にひとりなら何でもできる!ということに。
集団では、中心となる誰かの意志や価値観に左右されるため、自分で何も選べず何も決められず、自分の意思や決定に自信が持てず、自分はダメな人間で他者に従うしか生きるすべはないんだな…と思い込むしかなかったけれど、
実は、ひとりなら自分で決めて選んで行動するだけなのだから、何でもできて当たり前です。ひとりで過ごすことは、自分自身に対しての自信になりました。
ひとりでご飯や旅なんて、ぼっちで恥ずかしい……という風潮は、行く先々でいろんな「可哀そう」感覚のお節介に遭遇することで知ったものの、
私にとっては、相手のご機嫌を伺いながら、行先や食事先を見極める方がキツかった。
また、普段そこそこに仲が良くでも、旅という特殊な場では、不思議なほどまったく気が合わなくて引きずられるという現象を何度も経験しましたから、
他人が引くようなところにも平気で行ける、ひとり行動は気楽です。
最たるものが、外出時のご飯。
最近はランチ習慣のない仕事だから、外食はごくたまにで済んでいますが、
毎日だと、なるべく手軽で安価なところにしたいもの。
お弁当だと環境を変えにくいので、あえて外に出て食べていましたが、
女友達と一緒だと、立ち食いソバとかラーメンとか牛丼とかだと、たいてい引かれます。でも毎日カフェとかレストラン系だったら、とてもエンゲル係数が保ちません。
ひとりなら、どんなところも平気。
以前は、立ち食い系やカウンター席、夜は飲み屋のような店だと、男性しかいなくて入りづらい印象と言われたけれど、私はよっぽど怖そうなところでない限り、普通に入っていました。
「牛丼女子」なんてのが流行ってからは、逆に行きづらくなる店すらあったくらい。
オシャレ目的ではない、むしろ女に見られないような色気なしのフィールドワークのひとり旅をしてきて、臨機応変に慣れたことによる副産物が、B級ひとり飯です。
むしろ高級そうなオシャレな店の方が、ひとりでは入りづらいです。そういうところは、スペシャルな時に、大切な友達と行きたい。