音記録・富士山本宮浅間大社 湧玉池にて奏上 ~琴奏のきっかけを含む~
8月の初旬に、あるイベントにオンラインで参加する予定になり、自己紹介代わりの活動SNSをひとつ提示する必要がありまして、
FacebookやInstagramなどいろいろに書いているけれど、今後はそうした必要の際、このはてなブログを使おうと思っています。
そのためもあり、ブログの表題通りの音記録を、まとめ直す作業を進めます。
これまで書いたものは、ほとんど人目に触れることがない形で書き散らしたものだったから、改めてきちんと記録しておきたい、そのためにこのブログを開設したのだから。
はてなブログ自体、まだ初心者で、これまで中途だったデザインなどのカスタマイズも、少しはなんとか見栄えよくしないといけないだろうし、
はてなガイドブックや、ネット上のマニュアルやYouTube動画などを見て必死にやってはいるけれど、機械オンチが災いし、誰かわかる人助けてぇと言いたくなる有様……
まぁ少しずつやっていくしかないか。
ともあれ、ブログの表題に沿った記事をまとめるのが最優先課題です。
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さて、私は真琴という、個人が創作した現代楽器を奏で、神社などで和歌や祝詞を歌いおろす活動をしています。
真琴にもいろんな形があるのですが、この勾玉型に運命的なものを感じ、今はこの一台と一心同体感で、常に共に在ります。
公の場でご奉納という形で承ることもありますが、もともとは、それまでライフワークだった神社仏閣や史跡へのフィールドワークに連れて行って、ひっそりと弾くだけのつもりでした。
古き良き神聖な場で、何か楽器演奏をひっそりと人知れず、祈りとして奏でたいという思いは、ひとり旅を始めた若い頃からの夢でした。
一時期、横笛(能管)を持ち歩いていましたけれど、能舞台で吹かれる笛は、横笛の中でも最も音が大きく響きが鋭いため、ひっそりと…とはいかず、どこで吹いても大注目だし、境内での音曲禁止の場所では大ヒンシュクになってしまう。
そもそも旅先で目立つのもイヤでしたし、子供の頃から習い事やいろいろな演奏経験はあるものの、人が聞いて、明らかに巧い下手とジャッジされるような、誰もが知る楽器にも抵抗がありました。
そうして長年の宿願が叶い、数年前に出逢ったのが、この勾玉型の琴。
個人製作の新しい楽器なので先入観もないし、響きは美しいけれど、弾き方でささやかね音色が可能。大きさも持ち歩けるギリギリサイズ。
ひっそりと奏でるには最適でした。
勾玉が大好きな私には運命的に思えたし、初めて出会ったのも、まさに旅先での奇跡のような出来事でした。…その話はまた改めて。
手にして以降、まさに旅の友。常に共に在り、どこへでも共に参って、折々奏でています。
旅・フィールドワークといっても、私が行く方面はだいたい決まっていて、もともと古代文学の研究分野だった、近畿方面の実地見聞が主。
気になると同じ場所に何度でも行き続けるので、同じロケーションが多くなります。
今回は、生まれ故郷の富士山麓周辺。
私の産土神社は、富士山本宮浅間大社で、今のように世界遺産やパワースポットとか騒がれる前は、広大で歴史豊かで市街地の中心にありながら、比較的静かな憩いの公園といった風情でした。
親元で過ごしていた頃から、ひとりでここにいるのが好きで、今も懐かしい故郷の象徴です。
だから、真琴を手にした時、まずここで弾きたいと思いました。
この、富士山からの清水湧き出る、湧玉池のほとりで。
その願い通り、帰省の折り、5月の例大祭・流鏑馬神事に参じた際に、
神事がすみ、人がまばらになった夕日時に、池のほとりでひっそりと弾いた際の、音記録です。
見返してみると、いい風情での光の放射が顕れてくれていました。
真琴・富士山本宮浅間大社 湧玉池にて奏上 - YouTube
コロナ禍で旅や遠出ができる状況ではないため、しばらくは過去記録です。
これは3年前の音。
古き良き史跡・聖地などの空気は、琴の弦の響きと共鳴して、その土地の音を奏でます。
そのロケーションも含めて記録し、伝えたくて、動画で撮っていますが、
ひとり行動でもあり、ともかくカメラを置ける場所に安置するのがせいいっぱいのため、風景を選ぶ余地もなく、光の流れや風のさやぎ程度しか動きがない動画になっています。
琴奏も、演奏というほどしっかりしたものではなく、その時の心任せ、指任せで爪弾いているだけの「音・響き」。
それでも、少しでもこの場の波動を感じていただけたらと願い、記録してきたものを公開しています。