ささがねの ゆらら琴のね

~ いにしへの和歌招く響き ~

琴奏・綱越神社の祓詞 ~風の声を感得する~

余談ですが、ブログ名を『風招く琴の調べ』としたのは、

ひそかにひとりで琴を弾くと、必ず風が、応えるように木々を揺らしてさざめくからです。

神社や史跡や公園など、高木が立ち並ぶところであれば、風が木々を揺らすのは自然なことかもしれませんが、私はそれを感じると、無性に嬉しくて心が躍ります。

 

私の父祖の地は、富士山の風を祭る川のほとりで、明治以前までは文字通り風神祭が執り行われていたそうです。

それを意識したのはずっと後になってからですが、実地探査で足しげく奈良を訪れるようになった大学以降、三輪と同様に通い詰めたのは、風神を祀る龍田大社で、風祀る風土について論文のテーマにしたこともありました。

龍田風神は、廣瀬の水神と共に、壬申の乱の後、毎年春秋に勅祭が行われ、延喜式祝詞には三輪の神の起源と対となるような、崇神天皇の時代の疫病や不作により祭祀された由来が語られています。

それは単に神祭りの地としてではなく、実は戦乱などの時にそのあたりが要衝となるために朝廷で管理する意味合いもあったのですけれど、河内と大和の境界であり、大和中の水運を集めた大和川(古代における龍田川)が海へ向かい流れ出ていく地でもあり、古くから風にまつわる信仰があったことを伺わせます。

 

龍田風神と風土を研究テーマにしてから、龍田に点在する史跡に立ち、原初的な感覚で風というものを読む試みを何度もしていて、

風というのは上空を渡る気流が木々を揺らすだけではなく、木々がなんらかの意志を持って枝を揺らすことにより、大気を揺らして風を起こしていることに気づきました。

木々が何かを感じ取るのは、天空へ伸びる枝からだけではなく、大地に広がる根からも土中や土地の氣を感得し、それらが大樹の中で一体となって波動を発し、それが風として大気に流れている。それが自然界の全てと交信する手段となっていて、いわば天と地との会話を樹が仲立ちしているように感じるのです。

それゆえ古代では、神域の年経た高木を、神宿る依り代として、ご神木としたのでしょう。

 

埴輪が膝に抱いているような古代琴は、もともと水辺の祭祀に用いられた波動神具とされています。

今のようなよい音色の琴が作られるのは、おそらく仏教伝来と共に渡来した、唐琴の技法によるもので、原初の琴は、弦をはじいて神聖な波動を再現する道具だったと推測されます。

 

そうした印象があるためかもしれませんが、私が弾く琴は、水のせせらぎととてもよく和しますし、弾いていると必ず風がさざめく。そして鳥が声をあげてくれます。

それを感じる時、私が爪弾く琴のねの波動に、自然界の息吹が応えてくれたと感じられ、はるかいにしへの魂と相和しているような、満たされた幸せな心地に包まれるのです。

 

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さて、これも過去記録ですが、奈良県桜井・大神神社の大鳥居のほとりに、綱越(つなこし)神社という、小さな摂社があります。

通称・おんぱらさん。大祓祝詞の祓戸の神々が祀られています。

ちょうど今日、7月31日に、“おんぱら祭り”と呼ばれる例大祭がおこなわれます。

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大神神社のシンボルとも言うべき、青銅製では日本一とも言われる大鳥居。

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電車で三輪駅に降りると、大鳥居は大神神社へ向かう方向とは反対のため、眺めるだけで済ませてしまいがちで、その傍らの綱越神社は、意外に知られていません。

路線バスで訪れ、大神神社参道前で降りると、有名なみむろ最中本店の裏側に隠れるようにあり、大鳥居をくぐっても気がつかれないことが多い。

参拝駐車場が近くにあるものの、あまり意識されないようで、参拝のかたをほとんど見ることがありません。

 

それだけに、私には居心地のいい穴場スポット。

三輪山を感じながら、静かに、祈りに集中できます。

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可愛らしいお社。

 

お社ごしの大鳥居は、まるで大魔神のようで、お気に入りの景色です。

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大鳥居の前、このお社の背後は国道169号線が通り、交通量が多いため、車の喧騒に囲まれたようなエリアなのですが、不思議なほどここでは、それを遠く感じます。

三輪山への、ここからがご神域。浮世の垢を最初に落とし清めるための境界地。

 

三年前、ここで初めて琴を弾いた際、初めて、祓の祝詞が調べとなって流れ出ました。

私が和歌や祝詞を、調べとして歌うようになったのは、ここが始まりの地。

 

ここでも、常のように風が木々の上枝をさざめかせ、鳥の声が響きます。

車の音さえも、風の響きに同化して、包み込んでくれます。


三輪・綱越神社にて祓詞奏上 - YouTube