ささがねの ゆらら琴のね

~ いにしへの和歌招く響き ~

琴奏・大和三山に囲まれ藤原宮跡にて… ~YouTube動画あり~

奈良県橿原市、藤原宮史跡。

時勢柄、旅ができないので、記録していた過去の写真と動画から。

 

学生の頃に訪れた際には、ぽつんと碑があるだけの小さな空き地みたいでしたが、久々に訪れてみたら、平城宮跡のような広大な史跡公園になっていて、驚きました。

 

大和三山に囲まれ、恵まれた地形。

昔から不思議だったのは、なぜ、藤原宮ができるまで、この三山の地ではなく明日香の方に宮を造っていたのか、でした。

宮…といっても、藤原宮以前は、天皇の住居がいわゆる皇居で、宮殿として整えたのは藤原宮からだったわけですけれど、こちらに天皇が居住地にならなかったのが不思議な気がします。

 

しかし、大化の改新後に天皇家として国家を形成する、舒明天皇系を象徴するように、『萬葉集』二番歌には、舒明天皇の天香具山での国見歌が置かれており、神聖かつ特別な土地であったことは確かです。

 

   天皇、香具山に登りて望国したまふ時の大御製

 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 

 登り立ち 国見をすれば 

 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ

 うまし国そ あきづしま 大和の国は

   (『萬葉集』巻一・2

      参照:笠間書院刊・森淳司編『訳文万葉集』)

 

国見歌は、仁徳天皇が民の家々に豊かに煮炊きの煙が立つ様子をことほぐ逸話があるように、現代に至るまで、天皇の重要なつとめのひとつとして、引き継がれています。

内陸部にある低い山から、かもめが飛ぶような海が見えるわけがなく、古来、香具山周辺にはかつて海のような埴安池があり、そこに迷子のかもめが飛んでいた…などという詩的な解釈もされていましたけれど、

実際に見えている光景だけではなく、天皇が収めるべき広い国土を心の目で眺め、はるばると海まで、豊かで素晴らしい様子を「国ほめ」するのが国見歌であり、天皇がことほぐことで豊かさが保証される儀礼です。

 

また、今も天皇の即位に際して、香具山の埴土や樹木などで占いや儀礼が行われる伝統は継承されているそうです。

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埴安池は現存しませんが、香具山周辺には豊かな用水池があります。

 

三輪山や飛鳥の甘橿丘などの展望台から見下ろす形で三山を眺めると、本当にまるで、天空から誰かの大きな手が、ぽん、ぽんと盛土を置いたように見えます。

三山の中では、天の香具山のみ「天」がつく神聖な山で、神代に天から落ちてきたと言われます。でも三山を眺めた時、畝傍と耳成は、すぐにそれとわかりますけれど、天の香具山は平たく低く見えるので、展望台でも「どれが香具山?」なんて迷う声も聞こえるほどで、なんでこの山が三山に数えられるのか、現代の目では不思議に思われるようです。

でも実は三山の中では二番目の高さで、耳成山より高く、また、単体の山ではなくもとは多武峰から続く竜門山塊と連なっていて、浸食により今の形になったけれど、山の総面積はけっこう広いです。

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天の香具山から臨む耳成山。確かに見下ろしていますね。

 

ここに載せた写真や動画を撮った旅の際、香具山全体を歩くつもりで一日を作ったのですけれど、ゆっくり回ったせいもありますが、全然、回り切れませんでした。

おみそれしました、というような奥深い山です。

 

そして、三輪や明日香側からでは、どれが香具山かわからない丘陵地のように見えますけれど、実は葛城側から臨むと、明らかに香具山の存在感がわかります。

(それに気づいた時の写真が出てこないので、次回訪れた時の撮影課題です)

葛城王朝の時代もあったとされることを思うと、天の香具山あっての大和三山であることが想像されます。

 

勝手な妄想ですが、大和三山は正確に三角の位置にあるわけではありませんけれど、耳成山があまりに綺麗な形をしているので、

もともと自然の形にあったのは天の香具山のみで、畝傍山耳成山は、もともとあった小山に、ある時期、人の手で整えられて、平地の中の島のような三山の形態になったのではないかと考えたことがありました。

古代、前方後円墳みたいな大きなものを作る技術がある時代ですから、なんらかの象徴を意識して山を形作ることはあったように思います。

 

三輪山はピラミット、大和三山はUFOの宇宙基地……なんて話は、けっこう昔から言われているようですけれど、

私も、ずっと『萬葉集』に惹かれてきて、二十歳で生まれて初めて奈良を訪れ、三輪を臨み大和三山に囲まれたこの地に立った時、ここは古代のままの波動が根づき、宇宙そのものの波動が満ち満ちている、まさに「都」だと感じました。

理屈でも先入観でもなく、ここに立つと、山の上には当たり前のように宇宙空間が繋がっていて、そこからいろんな波動がおり、天にも地にも満ち満ちている……それが和歌のリズムになって、歌として、心にあふれてくるのを感じるのです。

 

そうして思ったのが……古代というのは、昔、過去ではない。

古代を知ることは、むしろ未来、そして普遍的宇宙と繋がり一体となって、自分の魂の源となる次元時空を奏でる扉を開ける入口なんだと。

 

これは、生まれ育った富士山麓で、いつからともなく感じていた意識でもありましたが、

大和の黎明の地に実際に立って、実感した、ここが私にとっての原点となりました。

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彼方に見えるのは、畝傍山、その向こうが葛城連山です。

 

この感覚は、私だけのものではなく、

香具山の中には、星が生まれたと伝承される磐座があったり、実際に光がおりてくるのを見たという話は、地元でもよくあるらしく、
『ムー』などを知らないような、ごく普通の飛鳥に住むご老人が、ここは宇宙と繋がり光が降ってくる土地だと、当たり前のように話していたことがありました。

それこそ、「隣の田んぼにはでっかいカエルが出てよぉ」みたいな、不思議でも何でもない日常の話のように、どこか誇らしげに話してくれまして、

私も興に乗って何時間も語り合ったのですが、あとから、「よそ者のあんたが、あの無口なじいさんと意気投合するなんて、すごいな」なんて、他の人から言われましたっけ。

 

懐かしさと同時に、心に馴染み、この波動に溶け込んで心を躍らせたくなるようなところ。まさに心のふるさと。

 

 一日、天の香具山を歩いた後、夕暮れ時の藤原宮跡に立ち、琴を弾きました。

今、自分の手元に琴があり、歌うことができるのは、幸せに思います。


琴奏・藤原宮跡にて… - YouTube

彼方に龍のように横たわるのが、天の香具山です。 

 

スマホでアングルを定めずに撮ったもので、以前の録画記録は音があまりクリアに大きくありません。

最近は、写真は写真、動画は動画として撮り、音は別にレコーダーで撮って、この場所での景色と音を編集することが多いのですが、

ワイヤレスマイクとかでスマホに音をとばして同時録画できるものがないものかしら、と探しているところです。