久々!東京国立博物館へ
緊急事態宣言下で、予約入場のトーハクへ。
友人が予約でチケットをとってくれ、久々に会って、観覧して参りました(^^)
よくぞはるばる東京まで…と思うほどの名宝や諸仏が集結。
こんなご時世でなければ、連日行列の大混雑だったろうと思います。
むしろ予約入場で助かったかも。人をかき分けることなく、間近でじっくり観られましたので。
会場内では極力会話も禁止。
そのため本当に静かで、博物館らしい、最適な思索空間でしたが…研究者の友人とその場で情報交換できないのは、ちょっと残念だったかな。
法隆寺には何度も参っているけれど、やはり寺社拝観と、宝物としての展示は違うので、これまでと異なる気づきも多く、
私的には、今回初めて知った、ちょっと個人的に有益資料があったのが収穫でした🙏
多忙な友人とはここで別れ、私は引き続き、『聖林寺十一面観音菩薩像』の展示へ。
こちらは幸い、当日券で観られました。
聖林寺も参ったことがあります。
そして三輪山、大神神社界隈には幾度となく通い詰めております。
現在は若宮様として祀られる、神宮寺。建物は確かにお堂のそれで、そちらにもともとは十一面観音菩薩様がいらしたとのことです。
廃仏毀釈とは恐ろしいもので、それまで長く大切に敬い拝んでいたものを、
突然否定し、無きものとして破壊する時流となる。
信仰の対象としてだけでなく、貴重な歴史遺産であり、美術的に優れたものさえも。
世界的に、趨勢が変わるたび、そうした悲劇は今なお繰り返されていますが、
そんな中、誰かが命がけで隠し守り、時を経て再び表に立ち、今こうしてここにあって祈りの対象となっていることに、感動を覚えます。
単に信仰対象というに留まらず、造形物は、それを創造した誰かの魂の結晶であり、携わってきた数百年の人々の想いの拠り所でもあったのですから、
信仰や宗教などと切り離され、世相や価値観が変化したって、
経年や環境など人の手で守り得ないことがあったとしても、人の手が暴力で壊していいものではないと、切に思います。
奈良では、そうして人知れず守られてきた、有名無名の仏たちに、よく出会います。
現代において訪れる人たちの祈りは、かつての日常切実なものとは異なるかもしれませんが、今、同じ世に共に在り、こうして出会えるに至る、永の時を過ごした重さと大切さを思う時、まさに
「かたじけなさに なみだこぼるる」思いがいたします。
今も聖地として慕われる三輪山を離れ、改めて聖林寺にて、名にし負う名仏となられた十一面観音様の、厳しげでもあり、現実の時を見据えるような表情が、
会場の演出にて、三輪山と三鳥居を背に、高々と立つ孤高のお姿が、一見優しげでいながら自然の荒神の厳しさを表す、神山そのもので、
真に一体なのですね…と改めて気づかされた心地がいたしました。
博物館にての名宝の、よりよく観てもらうための展示には、意図の妙味に、現地で拝するとはまた異なる意図の妙味が活かされており、
新たな発見が多く、感無量でした。
夏休み期間なので、他にもお子さんが楽しめて自由研究にできるような、さまざまな企画展示が行われていました。
博物館は、一日過ごせてたっぷり贅沢に知を吸収しつつ、感性の新たな発見を得られる、有難い場です。
それにしても…この日は私も頭痛でチカチカするくらいの猛暑で、スマホやカメラが熱にやられてフリーズ(熱で凍るってのも変ですが)しまくり、
あとになって確認してみたら、撮ったはずの写真の大半が記録されていませんでした…ここに出そうと思っていた写真が、ないことに気づいて、ショック(:_;)
さて、ほぼ一年ぶりくらいに上野駅公園口改札で友人と待ち合わせたんですが、
改札の位置が変わっていて、少々迷ってしまいました💦
改札から出たら、駅から公園までを区切っていた道路がなくなり、直接公園内へ遊歩できるようになっていて、これもビックリ。
公園散策が安全にゆったり楽しめるようになったようで。
なにかのデモンストレーションで、庭園の枯山水にデザインを描ける機械の展示がありました。パトレイバーみたいというか、動きがリアルで面白い。
見ていたかったけれど、暑すぎて無理でした…
上野周辺は、相変わらずパンダグッズやキャラクターでいっぱい。
双子のパンダちゃんも生まれたばかりですしね。
可愛い❤