ご当地怪談と、因縁の忌み地
たまたま電子書を探していて、こんな本を見つけました。
最近流行りの実話取材の怪談で、ご当地ものですね。
京都などはこの手の本は多いですが、やっぱり鎌倉でも少なくないのかな……
(写真は、hontoからのスクショです。まだ読んでいないので読後感ではないです(^^ゞ)
私は文学史学の研究者時代以来、地主神や地霊と語るようなフィールドワークをライフワークにしていますが、
歴史や古典文学・和歌にゆかりがある場所ですから、訪れるのは当然、有名無名を問わず史跡ですし、
史跡認定されていなくても、なんらかの由縁の地ではあるし、
別に歴史事件が起きていなくても、どこであっても歴史がないところなんて存在しないのは当たり前。
それでも名もない土地よりも、なんらかの古蹟として公認されているところには、それにまつわる固定認識が、フィクション・ノンフィクション、跡づけの架空を含め、いわゆる念として残留し、その時代から今に至るまで、色濃く蓄積されているのは言うまでもありません。
それらを「読み取る」のが、フィールドワークの探究方法です。
鎌倉は、今住んでいるところからも遠くない、歴史ある土地で、直接の研究分野とは異なるものの、寺社古蹟にはやはり惹かれるところが多いため、時々出向くのですけれど、
私は学生の頃に初めて訪れた時から、なぜか、鎌倉に行くたびに気分が悪くなり、高熱を発することが常でした。
ひどい時には、朝出かける時には最高の体調だったのに、鎌倉に向かう電車内で気分が悪くなり、着いたとたんにどんどん熱が上がって、即座に帰宅せざるを得なくなる事態もあったくらい。
鎌倉を訪れて高熱を発する確率は、ほぼ85%くらいでしょうか。
もともと、古代を専攻している私から見ると、鎌倉時代は最近の出来事に思えるし、古戦場跡などは生々しくて怖くはあったのですが、
なんら過酷な歴史事件があったというなら、長年濃く訪れ続けている京都奈良だって近代までその痕跡はあるし、江戸であった東京なんて、特に私がもと勤めていた場所は日本中の陰惨な出来事が起こる因縁の中心地でした。有名ではないものの、私の故郷も戦国の頃には全体が古戦場の記録があるくらいです。
でも特段、そこに行ったから具合が悪くなるなんてほどのことは、どこでもこれまでありませんでした。
鎌倉だけです。
それも、古戦場や歴史事件に関係はないし、北鎌倉や長谷、江ノ島などのエリアではなんともなく、
どうやら、鶴岡八幡宮周辺に限っているらしいのです。
源氏に因縁が?! いやでも、源頼朝関連の史跡なら、私の故郷は富士川の合戦や富士の巻狩り、曽我兄弟の事件があったあたりで、所縁の場所は身近に多かったし、源氏の旗揚げにまつわる三嶋大社などは学生の頃は足繁く参って境内で過ごしていたくらいだし、伊豆や修善寺でもなんでもなかったのだから、源氏が何かということはないと思います。
それに、鶴岡八幡宮や付近を散策していて、嫌な気配を感じるとか、わけもなく嫌いだと思うこともないのですが……(むしろ好きだから悲しい…)
歴史に関係なくても、現代でも事件事故があった場所や物件で怪異が起こる話や、心霊スポットなどはよく聞きますけれど、
よくよくの霊感体質か、わざわざこちらから怪異を求めて肝試しに行くのでもなければ、知らずに行って、誰でもが何か不調や怪異に合うのって、ごく稀れなのではないかしら。
なんらかの影響が出るのは、今の自分なのか、前世来世の自分なのか、ご先祖様や一族の何かに関わるのか(うちは格別な由緒ある家系でもないのでわかりませんし、家族や親戚で同じ目にあった人の話は聞いたことない)、
自覚無自覚に関わらず、何かの繋がりや因縁がある場合に限る気がします。これは誰でもそうなのでは?
(肝試しで厄を負う場合は、自分から藪をつついて蛇を出しに行くのだから、単なる自業自得。私は絶対に行きません)
私の場合、これまで行ったことのある場所で、明らかな影響が出るのは、今のところ鎌倉の一部地域くらい。
一度二度ではなく何度も、出かける前はどんなに体調が良くても、行けば具合が悪くなって、ほぼ熱を出す……
……実は行く用事がある時には、そういう「具合が悪くなる要注意地域」であることを、用事のほうに気を取られて、すっぽりと忘れていることが大半でして、だから先入観でそうなるわけでもありません。
理由はわからないまでも、自分にとっての“忌み地”や、どこかの時代での血族的な“忌み血”の因縁はあるのかもしれない。
ちなみに、いつもは平気だけれど、ある期間、またはその時に限ってだけ、特定の土地や場所が「NG」となる場合もあります。
厄年とか、たとえばですが前世かどこかで命を落としたことのあるような年齢なのか、自分の中で抵抗力が落ちている時。
逆に、自分にとって無条件で波長の合う、自分だけの“パワースポット”といえる土地や相性もあります。
長くフィールドワークで、名のみ残る物言わぬ土と風とのみと語るような、古蹟旧蹟を巡る道行をするたびに、そうしたさまざま感じる機会は多くありました。
ひとり旅ならではですが、普段、どんなに鈍感でも、旅先や人少ない聖域などでは、直感的にふと敏感に察する瞬間はありますし、それはたいがい、本能的、もしくは守護してくれる何モノかのアドバイスかもしれないと思います。
危険に限らず、思いがけぬ出会いや発見に導かれることも少なくないので。
“忌み地”の場合、地霊としても、来てほしくない因縁の者に来られては不愉快だから、あえてお互いに不快な事態になる前に、直感に働きかけて心理的な足止をしてくれることは、ままあります。
知らずに“忌み地”へのフィールドワークを計画した場合、行く計画時点でモヤモヤして、警戒態勢に入ることもありますが……
ただ、これまで……鎌倉にしろ、過去に合わなかった場所の場合、行って初めて症状が出てわかる場合もあるし、自分の中で電波障害が起こっているように、直感が狂いまくって事前にそれと気づきづらくなっていたような気がします。
その場合は、それでも行ってそれと知る必要があったか、なんらか害するためにおびき寄せようとする念が、危険信号を妨害していたのかなぁ……なんて。
あんまり恐い話は好きではないし、スピリチュアルに傾倒する気もないけれど、
ライフワークの性質上、奇瑞や奇跡の痕跡には敏感で、感じるのを旨としてフィールドワークしているわけなので、それなりに、目に見えず説明のつかない“ナニカ”には波長を合わせて旅しています。
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