ローマ字キーボード入力が 生まれつき 得意?
私はなぜか、初めてキーボードにさわった時から、ローマ字入力がスムーズにできました。
まだ子供の頃でしたが、なぜか家に、使っていない英文タイプライターがあって、ケースから出していじったことが、一度だけありました。
記憶にあるのは、一度だけです。
タイプライターがどんなものかを知っていた程度で、何もわからない、家族が使っていたわけでもない、教えてもらったこともないのに、
最初から、けっこうな速度でタイプできました。
それも、ローマ字で。
アルファベットだけだから、何を書くということもなく遊びみたいに、なんとなく、思いついた言葉を書き綴っただけでしたが、
頭の中で普通にローマ字変換して、スムーズに流れるように、日本語が打てていた。
タイプ速度が速すぎて、キーがもつれちゃうくらいに。
今思うと、なぜなんだろう……
どこにどのアルファベットが配置されてるとも認識してなかったのに、母音を基準に、すぐに打てていたんです。
ちゃんと、両手の指で。
頭に浮かんだ言葉を、声にしてしゃべるよりも、この方がはるかにスムーズで、直接言葉が指先に流れていくように、気持ちよく、楽しく感じました。
その頃はまだ、ワープロの存在も知らなかったし、
和文タイプライターは漢字の配置を覚えるような、手間がかかりすぎるものなのを、どこかで見ていたので、
日本語も、漢字があるから難しいだろうけれど、こんなふうにシンプルに文章が打てるタイプがあっらいいのになぁ...なんて、夢想したものでしたが、
それから数年後に、ワープロが普通に出回るようになり、あっという間にパソコンの普及。
とはいえ、高価だったし、今よりも専門的で、扱いが難しい。機械オンチの私にはハードルが高いものでしたが、
大学院に入った頃、論文を書くために、ものすごい決意を要して、初めてのワープロを購入しました。
その頃の私は、論文の文章化を書きあぐねていて、主に万年筆で原稿用紙を埋めていたけれど、書くことはまとまっているのに、なぜか筆が進まない。
いいペンを持てたら気合が入って書けるのでは、なんて現実逃避を「弘法筆を選ばずだ!甘えるな」と振り払いつつ、
なんとなく……タイピングでだったら、根詰まりしたような思考が溶けて、書けるような気が……
けれど、ペンで書けないものが、タイピングでなら書けるなんてあり得ないはずたし、もし結局合わなかったら、高い無駄遣いになってしまうという逡巡。
さんざんに迷った末、意を決して、バイトと親の援助を受けて購入。
初めての愛機は、NEC“文豪7H”でした。
歳がバレますな…(^^ゞ
ところがこれが大成功で、届いた機械を箱から出し、初めて指をキーに置いた瞬間に、スイッチオン!
指先から言葉が滲み出してくるように、思考が文章として画面に流れ込み、早い早い!
ずっと書きあぐねていたものが、ひと晩で論文一本、書き上げられてしまいました。
なんだろう……ペンだと、片手の指先2本くらいに集中していた思考が、タイピングだと両手十本指に分散して、まるでストローがゴムホースになったくらいの奔流でした。
まともにワープロを打ったのは、それが初めてだったのに、です。
おまけに、キーボードでローマ字入力というのが、私にはなぜか合うらしく、入力に慣れるより先に、書き上がるほうが早かったくらいで、
話すよりもスムーズだし、言葉が両手の指から直接流れ込んでいくようなのです。
機械の構造的なことは、今に至るまで何ひとつ理解できず、エラーの対処さえままならないのですが、
執筆ツールとして使いこなすことだけは、すぐにできて、基本的な使い方は、書きながらのみ込めてしまえた。機械オンチの私が。
その後、研究以外にも趣味で、今思うとよくあれだけ書けたものと思いますが、原稿用紙に換算すると、一年で三千枚くらいの連載小説を、編集校正含め、十五年近く書き続けていました。
(未公開だし、もう残していませんが)
さらに、ローマ字入力でのブラインド速打ちが、それこそしゃべるより早くできたので、議事録速記やテープ起こしが実は大好きという、意外な特技に気がつくことにもなりました。
他の人には面倒な作業らしく、嬉々としてやってたのは、職場で私くらいでしたっけ。
“文豪”は愛用十年ほどで殉職、それ以後はパソコンになりましたけれど、当時のパソコンには“一太郎”のワープロソフトが入っていて、それとの相性は抜群でした。
でも実は現在、Wordになってから、ペースが失速していまして……書けてない😢
思えば、“文豪のフォント、そしてバージョン5くらいの頃の“一太郎”のスタイルが、一番心地よかった。
しかしなぜ、一度だけの遊びのタイプライターからワープロまで、はじめから見もせぬままキーがわかって打てたのか、ローマ字入力がスムーズなのか、とても不思議です。
実はこれが妙で、ローマ字で日本語は打てるのに、
英文を入力する時には、未だに、どこにどのアルファベットがあるか、探さないと打てない。……つまり、アルファベットの位置を把握してるわけではないんです。
それに、キーボード以外では、ローマ字で何かを書くようなこともありませんから、手書きだとローマ字をイメージできない。
でもキーボード入力なら、頭に描いた文章は、半トランスといってもいい境地で、次々と流れ込んでくるように、ローマ字入力のリズムで、指先に落ちてくる。
それが心地よくて、ならないんです。
“文豪”時代のワープロ感覚に一番近く戻れるのが、キングジム製のデジタルメモライター“ポメラDM200”。
モノクロ画面とATOKの豊富な変換文字で、雑念なく思考の文章化に集中できるところが、似てるのかなと思います。
いきなりエラーの心配がなければ、肌見離さず無我夢中に書き続けたいところ。昨日、久々に復活させましたが、今度は頑張ってほしいなぁ。
アナログ筆記で、万年筆で紙に思考を落とすのも、マニアックに大好きですけれど、
手書き執筆と、キーボードでの執筆とは、繋がってる思考回路が異なるように思います。
どっちも大切で、不可欠。
実は、即興で琴を爪弾く時も、この、キーボード入力に似ていて、指にまかせると調べがおりてくる、そして和歌が読める。
理屈や法則ではなく、指にまかせることが、知らぬ世界と繋ぎ直感を導いてくれるのかな、なんて思ったりしています。