ささがねの ゆらら琴のね

~ いにしへの和歌招く響き ~

ささめごと 誰も見てくれなくていいかもしれない…


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芭蕉ではありませんが、話しても、唇が寒いばかりの話という部類があります。
話すには、人と時を選ぶたぐいの…

 

私は、特に何かの能力があるでもなく、ただ敏感体質なだけですが、
それでも気づけば不思議な流れで、あまり他者が立ち入れず知り得ない、歴史的な環境や境遇を実体験として経験できていて、

それは目に見えぬ、社会的経歴にもならないながら、自分の財産のように有難く思っています。


そして、その場所にかなり長く関わったとか、ちょっと特別な理由でそこにいたから、またはたび重ねて踏査し研究している中で直感的に感じた…みたいな状況で、わかったことがけっこうあります。

 

古代和歌の研究をし、短歌を読み、能楽の実技を並行してやっていたから、感性や体感で、気づきやすかったのかもしれません。

 

感覚的な部分で気づいたこと、さらにはそれが現実として顕れていることで、確信しています。実証まではできませんが、
たぶん、名だたるそれ系の特殊能力者も、ずっとそこにいたわけではないから、違う次元は読めるけれど、そちらは意外と気づかれないんじゃないかと思う…

 

最強のパワースポット!!と言われている場所ほど、その多くは、良くも悪くも歴史的にいわくつきでもあり、それは時代を超えても歴史の積み重ねと人の寄せる想念で、良い方も悪い方も現在進行中。

 

かつてそこにいた時には、暗く冷たい闇しか見えなかったけれど、今、光ばかりの中にいるから、さらに確信できる。
今現在は、私も琴のおかげで、多くの聖地では、明るい光の部分を見るようにしているから、最近の印象で悪いことはありませんが、
かつて命に関わるほどの思いを味わったところは、今も闇が見えて、近づけません。そして誰もが、「パワースポット〜💕」と喜んで私欲をさらけ出すのを、危なげに見ているしかない…

 

特別な話ではないけれど、これ、話してもいいのかな…と、時々思います。
とはいえ、誰にでも話せることではないし、言うべきことではないかもしれない。
人と状況を選ぶ話だし、もちろん信じる信じない、どう感じるかはその人次第だけれど、
これまで話すのも、どこかに書くのも、ためらわれてきました。

 

でも、心に留めきれなくなることがある。
とりあえずは、ひと目に触れぬアナログな形で書き残しますが、何世紀か経って世の中が全く変わり、平成令和も古代となった頃に、
今現在“偽書”とされている記録類みたいに、誰かに読まれたら、それはそれで面白いかな…なんて。