京都・清水寺千日詣と送り鐘送り火 〜琴奏〜
〜清水寺の鐘の声
祇園精舎をあらはし
諸行無常の花の色
娑羅双樹のことはりなり
生者必滅の世のならひ
げにためしあるよそほひ〜
(謡曲『熊野』クセ より)
清水寺、8/16の送り鐘。
はるか遠方には、五山送り火のひとつ・船形山が、ここから拝せます。
みほとけたちが、人々に送られて彼岸へと立ち返る宵です。
~こよひ逢ふ人みなうつくしき~
夜間拝観に伺うたびに、与謝野晶子女史のこの歌の末を思い出します。
清水から祇園へ、桜の頃はさらなりですが、
桜でなくとも、夜景の祭典は、見知らぬ人々がみな美しい存在に思えます。
いつもいつも、この日に会う人は、みな涙がこぼれるほど優しいのです。
近年は、琴も共に観音様を拝し、時にひそかに1音のみ爪弾くこともあるのですが、
祈りの響きと、弦のゆらめき、観音様やみ仏がたの波動とが、ご燈明のまたたきと共に空間に溶けて、身にしみいって参ります。
甘露と散華をふりかけていただいたような、至福…
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20170816 初めて清水寺で琴を弾く - YouTube
清水寺の千日詣りの最終日。
父の遺影を胸に訪れるのが恒例となっていましたけれど、コロナ禍で、昨年と今年は叶いませんでした。
なので、日記をもとに、今年は記します。
京都の観光名所として名高い、これらの名刹に、頻繁に訪れるご縁を得たのは、ここ数年のこと。
かつては、すさまじくごった返している印象しかなく、お参りどころじゃない...と思えて、修学旅行以降、行こうとすら思えませんでした。
それが、夜行バスで到着後の早朝に、たまたまそれぞれに参る機会があって、
人少なく清々しい境内で、神仏の息吹に直接触れる心地を得て以来、すっかり魅了されてしまい、
以来、上洛の機会あれば、必ず足繁く通うようになっています。
現代の観光名所の姿を、現代の自分が見ているので、人にぎわいばかりに目がいきますけれど、
もともと人が集うに至る由縁は、創建当時から千年以上、時代時代の人々が憧れ、心を寄せて救いを求め、祈り続けてきた長い歴史があり、
景観の霊妙な美しさもさることながら、その真髄には、人々の神様仏様への「畏こくも頼もしく慕わしい」想いがある。それゆえに守られてきた聖地という基盤があります。
喜怒哀楽のすべては、生老病死、自分の思うにまかせない現実に翻弄される事由に基づいており、
人は、信仰とは関わりなく、誰しも人智を越えた何かにすがり、救いを求め、手を合わせながら、現実と折合いをつけて生きる希望を見出す時があります。
どんなに楽しそうに見える人でも、裕福で恵まれて見える人でも、逆に、貧しくて、病んで、苦しそうに見える人でも、真実の幸不幸は、その人自身にしかわからない。苦悩や孤独を知らずに生きられる人など、いません。
人も羨む光源氏のような、恵まれて生まれ、人に崇敬され栄耀栄華を誇るかに見える人であっても、常に心に孤独の闇を抱え、路傍で食うにも困る貧しい人々が肩を寄せあうのを見て「下々のほうが幸せそうだ」なんて思うように、
境遇によらず、誰しも、自分を真に理解してもらうことはできないし、誰に満たしてもらうことも実はできず、他を羨み、無いものねだりを繰り返す。
それら無常の寂しさ、孤独、苦しさ、それぞれの願いを受け止め続けてきたよすがが、現在、“観光名所”という通称に変わっても、人々が集まる由縁の根底理由です。
どれだけの人々が、その時代ごとの「今、この時」に救いを求め、すがる心で手を合わせ、命がけで祈り続けてきたのだろう...この神仏は、その姿をどれだけ受け止め続けてきたのだろう...
様相は変わっても、人々がなんらかの想いを抱いて集う姿は変わらないことを、
特にここ数年、父の遺影を抱き、度重なる身内の病に付添い、母を支えたいと願う現実が深まるごとに、
神仏の中に反響する切実な願いに共鳴するかのように、身に迫るようになってきました。
そして私自身も、単に自分の心願成就のみならず、我が身は我のみのためならず、と実感するに至ります。
清水寺の千日詣り、内々陣の特別参拝や、法要に、父の遺影を抱いて参列すると、参列すると、
その場にいる方や、お坊様方が気にかけてくださり、
「もっと前へ。お父様を仏様によく見える所に」と、いざなってくださいます。
さすがに京都のかたはご信心もひときわ深いようで、「お父様が羨ましい。自分も仏になったら、子供や孫にこうしてほしいものだ」と話しかけてくださるかたもいらっしゃいます。
清水寺でご縁をいただいたかたが「お父さんに見せてあげなさい」と、五山すべてが見える場所に招いてくださったこともあり、初めてじかに拜した五山の送り火は、涙がこぼれる感動でした。
本当なら生前に父とお参りしたかった...その思いから、遺影とお参りするようになったのですが、
京都の人間でもないのに、実家ではなくここでお盆を過ごすのも、はじめはどうなのかな~と思わないでもなかったけれど、
京都の方が、地域全体での「あの世」との境界線の近さを感じる気がされて。
多くの衆生に混じり、父とご先祖様の水供養と、観音様への直接のお目もじ、夜は送り火での見送りをしつつ、送り鐘を突いて、
本当に、「あの世」がすぐそこ、目に見えぬ帷のすぐ先の世界ゆえ、ずっと我が身に添うてくださる祖先のおみ霊を感じられます。
ご本尊様に間近い内々陣の薄明りの中、多くの人たちが入り交じり、灯明を捧げる、
その、観音様に祈る姿は、老若男女・貴賎・在所を越えて、おそらく何世紀も変わらぬはず。
清水寺の夜間拝観の後、高台から一部見える送り火を拜し、お坊様のお導きで、鐘楼にて送り鐘を撞かせていただく。
送り火と送り鐘に送られ、父もご先祖様方も、彼岸へ戻られ...
観光客も、ご供養のかたがたも、みな、輝く眼差しで送り火を見、鐘を撞き、
手を合わせる人、はしゃぐ人、悲喜こもごも。
いくつもの時代の残像を見ているような、人々の往来…おそらくは、この世の人ではないかたや、神や仏も行き交う夜闇。
〜こよひあふ人 みな美しき〜
涙ににじむ、ほの灯りの夜闇の中、すべてが美しき宵です。
来年からはまた、遺影と琴を抱いて、参れますように……