ささがねの ゆらら琴のね

~ いにしへの和歌招く響き ~

私にとって、旅とは

旅がしたいなぁ……観光旅行じゃない。
かつて生き甲斐だった、研究と短歌創作のために、故地古蹟聖域を巡った、求道者のような旅。

今は、その場での直感により、琴を弾き和歌をおろす、吟遊琴弾歌人みたいなことをするためにも。


足頼み・カン頼り、心をダウジングロッドにして、なにかに招かれるように歩きまわり、土地や風のニオイや見るものすべてから、思索が開け、次元を超えられたように発見三昧だった、私だけの楽しみかたの旅。

特に、かつて畿内とされた、近畿方面が大好物。

 

もともと聖地巡りは、研究探求と並行して必然でもあり、好きだったから、
昔から、有名か無名か、資料的由緒の有無に関係なく、古蹟は、神社仏閣をはじめ、フィールドワークで知って訪ねたことで、好きになって足繁く通うところが多かったのですが、
かつての隠れ里の名社寺も、近年のパワスポブームで一気に人も増え、ノリも変わり、行きやすくなった反面、かつてと印象が変わったところも少なくはないのが、痛し痒し。

 

人知れぬ聖地は、かつては若さゆえの体力と熱意で訪ねられたけれど、車の運転ができない身には、困難なところが多いという葛藤があり、
限られたところにしか設備がないレンタサイクルではこと足らず(レンタル時間内では足りない)、当時は決して手軽でもなかった折りたたみ自転車を購入、持参していました。
その頃が一番、発見も多く、幸せな行程でしたが、昨今は、よほどの余裕がなければ、さすがになかなか難しい……今となれば、学生の頃に、かなり無理やりにでも、行っておいてよかったと思う場所も少なからず。懐かしい思い出と共に、今も経験は宝物です。

 

学生の頃は、社会人になってお金ができたほうが、行ける範囲と可能性は増えると思っていたけれど、
実際は、学生の頃のほうが恵まれていたことに、改めて気づく次第。
大人が思うほど自由な時間があったわけではないけれど、体力気力でかなりなムリが効いたから。
それに当時は格安の旅人用旅籠や、学割チケットもあって、ギリギリでも旅ができました。今は交通費と宿泊費が一番のネック。
また、いい歳した大人が変にみすぼらしいと、浮浪者不審者と間違われがちだから、それなりに体裁をキチンとしていないといけないし……

 

時間と資金が限られていて、行ける範囲も限界があると、その範囲内での歴史ある古蹟は、有名観光地でもあるし、それはそれで名所ではあるけれど、
かつてのような自分らしさが出てこないし、クリエイティブな発見も少ない。

 

昔のように、一日がかりで、訪ねる人などない故地(作者未詳の注目されない和歌一首に、地名だけ出てくるような、古蹟とも呼べず、なんのよすがも残らぬ、ただ寂しいだけのところ)を訪ね、暗くなるまで駆け回り、古蹟や地霊と語り合う時を持てるような……
そんな旅を、またしたい。


何もない、昔を偲ぶよすがもない、けれど草木繁る土の中、風の中に、私だけが感じられる響きがあって、和歌の名残りがある。
そこから疑問がわきあがり、推論や考察に浸ることで、心のワクワクがはちきれるまでに高鳴る刺激は、そんなひそやかなフィールドワークでなければ得られないのです。

 

……とはいえ当時、若い娘がひとりで、大人の男性でさえ危険かもというようなところ(人災や犯罪も含め)へ、やたら行っていたので、
大人たちからはよく怒られていましたし、客観的に、無事だったのは運が良かったとしか(^^ゞ
実際、今思えば危なかったかもという場面も、一度や二度ではなかった気がしますが、“女に見えないヘンな女”外見と、金持ってそうに見えないみすぼらしいフィールドワークスタイルだったのが、こういう場合、功を奏したと思ってます


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