ささがねの ゆらら琴のね

~ いにしへの和歌招く響き ~

弾く・吹く・打つ ~音の楽しみから活動へ~

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我が家の神祭り埴輪たち。
右は、知人が作成した、さる由緒ある板を琴とした作品。原初的な琴の形に近いです。

 

文化的に、どこかで繋がる起源があるものもあるのでしょうけれど、

世界のどの古代文化にも、

・糸状の弦を張り、指や、バチやピック状のものではじいたり、獣の毛などでこすって音色を出す、弦楽器。

・穴に息を吹き入れたり、リードを震わせるなど、空気を音にする吹奏楽器。

・石や木や鉄のようなもの、皮などを叩いて音を出す打楽器。

それぞれが原点として存在しているのは、当たり前のようであって、ある種不思議にも思えます。

 

それも、たいていは神聖な音や響きとして認識され、主に祭祀や自然信仰の儀式において、用いられるのが原初で、それらが文明と共に開発されて、楽器として発展していくわけですが、

もともとそれらの楽器を持ち、音を出せるのは、ある種、特殊な人たちに限っていた時代もあり、優れた音色を出せる人ほど、神に近く、また尊い聖人とされてきました。

日本でも、いわゆる楽人集団は、もともとは神人集団でもありましたし。

 

特に古代中国でも古代大和でも、琴を弾くのは極めて人格の高い君子であり、一族・一国の長の証でもありました。

今は、琴というと気品ある女性のたしなみのようなイメージが強いけれど、古代、琴は男性のつとめでした。

古事記日本書紀では、天皇が琴を弾く場面が多く見られます。

琴弾き埴輪も、みずらを結った男性ですし。

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たいていの琴弾き埴輪は、楽しそうに笑っていますが、これは一種の恍惚状態で神の領域に繋がっている様子と推測されます。

祭祀の場において、位の最も尊い者が琴を弾き、その響きにより巫女である女性が舞いながら神がかりして神ごとをおろし、仲介者である審神者が読み解き和歌として神託を伝える。

それが古代における神祭りの形態でした。

……このへんの古事記日本書紀に見る物語や、琴の役割等は、おいおい、テーマとして書いていきます。

 

私もまだこの分野については探究中なので、琴以外はあまり詳しくないのですが、

笛や太鼓は、琴ほど記録に出てこないように思います。

祭祀遺跡からもあまり出てこないような…もちろんなかったわけではないでしょうけれど、おそらく現存しにくいのでしょうね。

 

太鼓など打ち鳴らすものは、たとえばアメノウズメノミコトが天の岩戸の前で踊った時に踏み鳴らしたような形が原型かもしれませんが、

各地の雨乞い神事などで、天に向かってクレクレする際に叩くなど、気分を高揚させるリズム、地団駄を踏むのとも繋がり、神がかり巫女の動作とも共振する印象が。

鼓動と連動する意味では、鈴も打楽器と言えるでしょうか。

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これは私がアイディア出しをして作ってもらった、「麻の神鈴」。

私と作家さんとのオリジナル作品です。

 

縄文遺跡からは、石笛がよく出てくると聞きます。

石に穴を穿ったもののように見えますが、人工的なものではなく、石に身を潜ませる貝があけた天然の穴を、息の加減で音色とするもの。

貝が生きるために長い年月をかけて穿った穴から、不思議な響きの音色が吹き出される神秘。人の手による天然石の石笛もあるけれど、天然のそれとはとても真似できたものではないと聞きます。

発掘物以外でも、川や海辺を丹念に探すと今も見つかるもので、三島由紀夫の作品にも、神や幽体の声を聴く際の場面で描かれています。

私もいくつか持っており、ご神前奉納の際には、麻の神鈴と共に用いています。

 

息吹を音色とするのだから、その人の霊威に極めて影響するように思うのですが、笛が導く神聖な意味合いは、琴のそれとは異なるようで、もっと探究してみたい課題です。

 

私の石笛の写真。

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そして、私の勾玉型の琴。

 

この琴は、比較的近年、個人の作家さんがインスピレーションで造った「真琴」という創作琴のうちの一種です。

この琴とは、不思議な成り行きで、伊勢神宮外宮内の神聖な森の中で出会いました。

 

以来、私にとっての「天の詔琴」。

 

真琴そのものは、持つ人ごとに自由に使える仕様なので、決まったスタイルも演奏方法もありません。本当に人それぞれに全く異なる使い方をしています。

 

私はもともと、古代和歌の研究者であり、神社や宮中・門跡寺院などでの経験、能楽の心得もあり、弦楽器や笛などもやっていましたけれど、

私はこの勾玉型の琴に出会った瞬間、これしかない!と天啓を受けたように、「古代祭祀の琴」を写してイメージしました。

 

埴輪が抱いているような原初型の琴は、たとえば雅楽器の琴のように美しい調べではなく、おそらく、弓の弦をはじくような、単調な響きで空間を振動させるものだったろうと思われます。

響きは波動であり、音そのものよりも、自然界の目に見えぬ大いなる力のようなものを再現するものとして、神と同調する祭具とされたのではないかと推測されます。

 

真琴の響きは、金属弦の美しい音色であって、理屈抜きに心地よいもの。

けれど、その響きの中に、私は古代琴の深遠さを見出しました。

この琴を弾きながらだと、ごく自然に歌が読め、祝詞調の言葉が流れ出てきます。

 

そして、この琴を手にして以降、私自身が働きかけたわけではないのですが、まったく未知の方面から自然にご縁が繋がり、いくつかの神社様でのご神事で、ご奉納の栄を得ました。

はじめは、ひとりでひっそり、これまでもおこなっていたフィールドワークの旅で、ひっそり弾けたらと思っていた程度だったのに、気がつけば神舞台に立っていた。

 

続いて、これまでの学びを活かし、古代語りや和歌を伝えるワークショップなどの機会も得、ようやくこれまで生きてきた甲斐があったような心持を得るに至りました。

 

コロナ禍以降、停滞となりましたけれど、せめてこの機に、こうしたブログなどネット上で表していけたら。

これが、このブログを開設した動機です。

 

少しずつ、これまでの活動なども記録しつつ、私も持つものをアップしていきます。