ささがねの ゆらら琴のね

~ いにしへの和歌招く響き ~

声、届くかしら

“Spoon”という、音声配信のSNSに、2度目の投稿をしてみました。

 

琴詠・祓い祝詞
https://u8kv3.app.goo.gl/mwa6d

 

古事記』序文
https://u8kv3.app.goo.gl/gbTdt

 

少しずつ、聴いてくれる人が♥を残してくれ、それをきっかけに、こちらからも他の人を知って聴きに行けるようになってきました。

このへんの相互関係は、ブログとも同じで、有難いです。

 

それにしても、ブログにしても、You Tubeや、こうしたラジオ配信的なものにしても、

発信者のレベルの高さに驚きます✨

今はもう、素人とかアマチュアとかいう時代じゃないですね!!

 

もちろん、上位で目につきやすくなってる人を見つけやすい、ということもありますが、

機材も何も揃わず、やれることをやれる範囲でできる限り……レベルの自分がちょっと恥ずかしいくらい、

想像以上にすごかった。

 

私は今のところ、琴を弾きながら、古文を読んだり、和歌その他を歌うのを発信していますが、

自分で不思議なくらい、普通に朗読するより、琴を爪弾きながらのほうがスムーズで、

和歌や祝詞も自然に調べになる。

それが楽しくてならないので、発信したくなりました。

 

楽しいからやりたい!が、何より大切だと思って、やれることをやれる限り。

続けていきたい。

 

以前は無口だし、人前で歌うなんてこともなく、

そのせいもあって、とりえは音感だけで、鼻にかかりくぐもった声が、自分ですごく嫌でした。

でもここ数年、思いがけない流れで、琴を得てから歌う場が増えて、

改めて自分の声の録音を聞くと、前ほど鼻声やくぐもっていないみたい。

場を得て、場数を踏むのは、本当に大切なのだと、

それは若くないから、もう遅いと、あきらめるようなことでもないんだなと、今さら思います。

 

まぁ生まれついての器量や地声はしかたないにしても(^^ゞ 持てるもので可能な限りの克服はできる。

 

目立ちたいわけでも、人気者になりたいわけでもないけれど、

自分が発信できるものが、少しでも届くといいな。

 

その手段が増えている、いい時代になったなぁと、本当に思います(年寄りか!😅)


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ローマ字キーボード入力が 生まれつき 得意?

私はなぜか、初めてキーボードにさわった時から、ローマ字入力がスムーズにできました。


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まだ子供の頃でしたが、なぜか家に、使っていない英文タイプライターがあって、ケースから出していじったことが、一度だけありました。
記憶にあるのは、一度だけです。

 

タイプライターがどんなものかを知っていた程度で、何もわからない、家族が使っていたわけでもない、教えてもらったこともないのに、
最初から、けっこうな速度でタイプできました。

それも、ローマ字で。


アルファベットだけだから、何を書くということもなく遊びみたいに、なんとなく、思いついた言葉を書き綴っただけでしたが、
頭の中で普通にローマ字変換して、スムーズに流れるように、日本語が打てていた。

タイプ速度が速すぎて、キーがもつれちゃうくらいに。

 

今思うと、なぜなんだろう……
どこにどのアルファベットが配置されてるとも認識してなかったのに、母音を基準に、すぐに打てていたんです。
ちゃんと、両手の指で。

頭に浮かんだ言葉を、声にしてしゃべるよりも、この方がはるかにスムーズで、直接言葉が指先に流れていくように、気持ちよく、楽しく感じました。

 

その頃はまだ、ワープロの存在も知らなかったし、
和文タイプライターは漢字の配置を覚えるような、手間がかかりすぎるものなのを、どこかで見ていたので、
日本語も、漢字があるから難しいだろうけれど、こんなふうにシンプルに文章が打てるタイプがあっらいいのになぁ...なんて、夢想したものでしたが、

 

それから数年後に、ワープロが普通に出回るようになり、あっという間にパソコンの普及。
とはいえ、高価だったし、今よりも専門的で、扱いが難しい。機械オンチの私にはハードルが高いものでしたが、
大学院に入った頃、論文を書くために、ものすごい決意を要して、初めてのワープロを購入しました。

 

その頃の私は、論文の文章化を書きあぐねていて、主に万年筆で原稿用紙を埋めていたけれど、書くことはまとまっているのに、なぜか筆が進まない。

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いいペンを持てたら気合が入って書けるのでは、なんて現実逃避を「弘法筆を選ばずだ!甘えるな」と振り払いつつ、

なんとなく……タイピングでだったら、根詰まりしたような思考が溶けて、書けるような気が……

けれど、ペンで書けないものが、タイピングでなら書けるなんてあり得ないはずたし、もし結局合わなかったら、高い無駄遣いになってしまうという逡巡。

 

さんざんに迷った末、意を決して、バイトと親の援助を受けて購入。

初めての愛機は、NEC“文豪7H”でした。

歳がバレますな…(^^ゞ

 

ところがこれが大成功で、届いた機械を箱から出し、初めて指をキーに置いた瞬間に、スイッチオン!

指先から言葉が滲み出してくるように、思考が文章として画面に流れ込み、早い早い!

ずっと書きあぐねていたものが、ひと晩で論文一本、書き上げられてしまいました。

 

なんだろう……ペンだと、片手の指先2本くらいに集中していた思考が、タイピングだと両手十本指に分散して、まるでストローがゴムホースになったくらいの奔流でした。

まともにワープロを打ったのは、それが初めてだったのに、です。

 

おまけに、キーボードでローマ字入力というのが、私にはなぜか合うらしく、入力に慣れるより先に、書き上がるほうが早かったくらいで、

話すよりもスムーズだし、言葉が両手の指から直接流れ込んでいくようなのです。

 

機械の構造的なことは、今に至るまで何ひとつ理解できず、エラーの対処さえままならないのですが、
執筆ツールとして使いこなすことだけは、すぐにできて、基本的な使い方は、書きながらのみ込めてしまえた。機械オンチの私が。

 

その後、研究以外にも趣味で、今思うとよくあれだけ書けたものと思いますが、原稿用紙に換算すると、一年で三千枚くらいの連載小説を、編集校正含め、十五年近く書き続けていました。
(未公開だし、もう残していませんが)

 

さらに、ローマ字入力でのブラインド速打ちが、それこそしゃべるより早くできたので、議事録速記やテープ起こしが実は大好きという、意外な特技に気がつくことにもなりました。

他の人には面倒な作業らしく、嬉々としてやってたのは、職場で私くらいでしたっけ。

 

“文豪”は愛用十年ほどで殉職、それ以後はパソコンになりましたけれど、当時のパソコンには“一太郎”のワープロソフトが入っていて、それとの相性は抜群でした。

でも実は現在、Wordになってから、ペースが失速していまして……書けてない😢

思えば、“文豪のフォント、そしてバージョン5くらいの頃の“一太郎”のスタイルが、一番心地よかった。

 

しかしなぜ、一度だけの遊びのタイプライターからワープロまで、はじめから見もせぬままキーがわかって打てたのか、ローマ字入力がスムーズなのか、とても不思議です。
実はこれが妙で、ローマ字で日本語は打てるのに、
英文を入力する時には、未だに、どこにどのアルファベットがあるか、探さないと打てない。……つまり、アルファベットの位置を把握してるわけではないんです。

それに、キーボード以外では、ローマ字で何かを書くようなこともありませんから、手書きだとローマ字をイメージできない。

 

でもキーボード入力なら、頭に描いた文章は、半トランスといってもいい境地で、次々と流れ込んでくるように、ローマ字入力のリズムで、指先に落ちてくる。
それが心地よくて、ならないんです。

 

“文豪”時代のワープロ感覚に一番近く戻れるのが、キングジム製のデジタルメモライター“ポメラDM200”。

モノクロ画面とATOKの豊富な変換文字で、雑念なく思考の文章化に集中できるところが、似てるのかなと思います。

いきなりエラーの心配がなければ、肌見離さず無我夢中に書き続けたいところ。昨日、久々に復活させましたが、今度は頑張ってほしいなぁ。f:id:shihina_takisato:20220730110358j:image

 

アナログ筆記で、万年筆で紙に思考を落とすのも、マニアックに大好きですけれど、
手書き執筆と、キーボードでの執筆とは、繋がってる思考回路が異なるように思います。
どっちも大切で、不可欠。

 

実は、即興で琴を爪弾く時も、この、キーボード入力に似ていて、指にまかせると調べがおりてくる、そして和歌が読める。
理屈や法則ではなく、指にまかせることが、知らぬ世界と繋ぎ直感を導いてくれるのかな、なんて思ったりしています。

 

 

#キーボード #タイプライター #ローマ字入力 #ワープロ #直感 #ポメラDM200 #ブラインド直感

ちょうど昨日?ポメラ新作出た!のタイミング

デジタルメモエディター・ポメラDM200。
キングジム製で、デジタル文具という、いわゆるワープロ専用機です。f:id:shihina_takisato:20220729141120j:image

私は、万年筆で書き綴る、アナログ筆記も大好きですが、

手書きと、キーボード筆記と、思考の回転が違うこともあって、長文はワープロで書くほうがはかどります。

 

このポメラは、パソコンよりコンパクトだし、膝に乗せて打てるのがよくて、

5年ほど前に購入し、気に入って使っていたのですが……


ある時、ものすッごく乗ってきて、ワクワクと込み入った文章を半日ほど書きまくっていたところ、

いきなり凍りついてフリーズ😱、何をどうしても動かなくなりました💦

あれこれ試したものの、どうしても復活せず、

数時間後、もうしかたないので、強制リセット…

が…フリーズ時点の更新はしかたないにしても、

どういうわけか、SDカードに保存していた当該文書も消えていて😭

半日の熱意の結晶が、一瞬で無に帰した……

 

むか〜しの文豪ワープロ時代から、万一のエラー消滅は怖くて、上書きはかなりしつこくやっているのに、それすらムダだったのが、さすがに悪夢すぎて……こっちがフリーズ。

トラウマです。

 

原因は、今になってもわかりません。

むか〜しのワープロも、締め切り前の大変な時に、フリーズやエラーで地獄を見ることはよくあったなぁと記憶していますが、

ポメラはDM20以降、二機目だったものの、こんなことは初めてでしたし、

ノリノリで書いていたものが消え果てたことで、あまりのショックに、すっかり気力が萎えてしまい、頭真っ白、書き直すことすらできませんでした。

 

以来、精魂こめて書いたものが消えたらと怖くなり、OA作業に集中できなくなってしまったくらい。

(一時期、Facebook投稿や、スマホでの入力でも、エラーで文書がまるごと消えることがよくあったから、それも相まってトラウマに)

 

こんな事故があったために、ポメラを信用して思考を委ねられなくなったし、その後パソコンを新しくしたこともあって、久しく使っていませんでした。

 

さて。

数年ぶりに、バージョンアップした新機のポメラDM250が、今月、出る(た?)らしいニュースをネットで見て、へ〜と思ったのですが、
そのタイミングで、まさに今日!!

まるで「お〜い、使ってよ💦」と言わんばかりに、探しもの中、棚から、DM200が飛び出してきました。

 

まぁ……壊れたわけでもなく、安い買い物でもなかったのだから、放置しておくのもナンだし、ちょっとしたメモ草稿に使おうかな……と、

改めて充電して、さっきから指ならしの打ち込みをしています。

 

使い心地は、やっぱりいいんですよね。

ネット接続がないせいか電磁波が薄くて、パソコンやスマホで書くより、なんだか頭が軽いし、気が散りません✨

ただ朴訥に書くためなら、アナログに次ぐ快適ツールといえます。

 

ついタッチパネルのクセで、操作の際に画面に触ってしまいそうになり、マウスもないし、全部がキーボード操作でアナログ的ではありますけれど、

それがいい💕みたいな感触があります。


それに漢字変換その他、日本人として書いていて嬉しいような文字感覚💖

 

編集や発信のための下書きは、スマホ経由でパソコンに取り込めるから、ひと手間ではあるけれど不自由ないし、

改めて復活させて愛用するから……もう二度とわけわからない消滅はしないでほしいなぁ……

 

おまじないというか、シンボルシール、いっぱい貼っちゃったりして、無事を祈りつつ使います(^^ゞ

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ちなみに新機は今のところ、導入予定はないです。今のを使い倒すまでは。

 

 

#デジタル文具 #ポメラDM200 #万年筆もノートも好き 

実体験に勝る学びなし

いろんな媒体に、さまざま発信していますが、もともと拡散するすべもないしスキルもなく、ひっそりやってるだけなので、自分記録以外の成果はないです。

 

つい先日から、音声だけで配信と記録ができる、『Spoon』てラジオ配信アプリをやってみていますが、Spoonの不便なところは、Google検索などで対応されないことかな。

自分が聞きたいことも、客観的な視点から見つけられない。


たまにラジオ講座みたいな、いい感じの教養系をここでやってる人もいるみたいなのに。
まぁ、画像もつけられない声だけ講義だから、タイトル部分につけられる一枚写真のみで解説可能な、ひと口講義ですが、

飽きられず端的な、いい方法だなと思いました。

 

ただし反面、こういう便利な知識習得系の媒体が増えて思うことですが、

ちなみに、謡曲の謡いや能楽の舞の型などを、習う前にYou Tubeその他ネット配信で学ぼうとするの、あかんです😓
たとえば同じ観世流でも、お家により全然違うし、先生の解釈で違うこともあるから、表現の区別を知らないうちに変な覚え方をしてしまうと、厄介で面倒なことになります。

 

さらにちなみに、整体初心者の頃、やはりネットで検索して、いろんな施術を取り入れようとする人が多かったけれど、あれもかなり危険だと思った💦

自分の体にやるだけとか、習ったことの復習にするのはいいけれど、
じかに体に触れて覚えないと、特に経験が浅いうちは、ツボにしろ筋にしろ、感覚で不明瞭だから、マネだけだと事故のもと。


私は、キャリア半生の叩き上げで経験医学の上に医療的国家資格もいくつも持ってる個人(会社や研修所は、ただ圧し方を、短期間の型通りしか教えない。私は師匠に実地でじっくり指導していただきました)に、東洋医学・解剖学込みで習ったから、危険や怖さもわかったけれど、
同期には、師匠を信じず、師匠はネットの手とは違うから偽物だと豪語し(師匠から厳しくダメ出しされ続けたのにキレたため)、全部ネットで会得したと威張って、かなり危ない施術を誇らしげにやってた人がいました。
まったくの初心者から整体歴一ヶ月の時点で、あの自信はどこから来るのかと思いましたが、その後、何ヶ月か経ってたしか事故も起こしてた気が。

 

実地で学ぶというのが、どんな分野においても、一番効果的で大切なのは、言うまでもない。
こういうご時世で、Zoomやネット経由の講座や授業も多いけれど、ある程度は実際に、じかに講師の声を聞き、その場の空気に触れて、身をもって知覚しなければ、会得すべきことが自分の真芯まで入ってこないものです。


パワースポットと言われる聖地も、写真や人の話でいいなと思っても、じかに行かなければ、自分にとってどうかは感じられませんし、じかに触れることに勝る学びや経験はありえません。f:id:shihina_takisato:20220729102617j:image

 

ただ、知るきっかけとして、まず声のみ画像のみの手段でも、観てみる聞いてみる、というのは、入口としてアリだと思うし、目安を得るにはいい方法だと、
自分が、この人に学んでみたい、じかに会って話を聞きたい、または舞や芸ごとを観に行きたい💖と思うきっかけを、時々こうして得ることがあるので、まず知れる手段が拡がっているのは、いい時代になったなと思う次第であります😌


昔は、本や論文で知って、学びを求めた教授や学術者・著述者が多かったけれど、今はブログや配信でも知れますし、
雲の上で声をかけ得ないような人と、通信したり会ったりしやすくなりましたしね。

 

ちなみに私自身は……昔から、小説や論文として書いたものや、演奏してる時の印象と、素で会って話す印象とがかなり違うらしく、
「じかに会ってガッカリした😔」と言われることが多くて…(TT)
作品や舞台上だと、違うオーラがおりて発動するらしく、普段のなんでもない時との格差がヒドすぎるのが、
実は自覚もあって、自分としても悩みであり、課題でもあります💦

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初めての音声配信

ブログからでも、リンクで跳べるのかしら…と、

試みアップです。

 

#Spoon DJのしひなです。
ぜひCASTを聴いてみてね!https://u8kv3.app.goo.gl/i9f35

 

岡倉天心茶の本』より、「芸術鑑賞」を、弾き語り朗読しています。

 

アプリを入れてなくても聴けるのかしら…

 

You Tubeのように、画像を考えなくてもいいのが助かるかなと。

私がやってるのは、琴も歌も、ビジュアルよりほぼ音声メインなので。

 


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私にとって、旅とは

旅がしたいなぁ……観光旅行じゃない。
かつて生き甲斐だった、研究と短歌創作のために、故地古蹟聖域を巡った、求道者のような旅。

今は、その場での直感により、琴を弾き和歌をおろす、吟遊琴弾歌人みたいなことをするためにも。


足頼み・カン頼り、心をダウジングロッドにして、なにかに招かれるように歩きまわり、土地や風のニオイや見るものすべてから、思索が開け、次元を超えられたように発見三昧だった、私だけの楽しみかたの旅。

特に、かつて畿内とされた、近畿方面が大好物。

 

もともと聖地巡りは、研究探求と並行して必然でもあり、好きだったから、
昔から、有名か無名か、資料的由緒の有無に関係なく、古蹟は、神社仏閣をはじめ、フィールドワークで知って訪ねたことで、好きになって足繁く通うところが多かったのですが、
かつての隠れ里の名社寺も、近年のパワスポブームで一気に人も増え、ノリも変わり、行きやすくなった反面、かつてと印象が変わったところも少なくはないのが、痛し痒し。

 

人知れぬ聖地は、かつては若さゆえの体力と熱意で訪ねられたけれど、車の運転ができない身には、困難なところが多いという葛藤があり、
限られたところにしか設備がないレンタサイクルではこと足らず(レンタル時間内では足りない)、当時は決して手軽でもなかった折りたたみ自転車を購入、持参していました。
その頃が一番、発見も多く、幸せな行程でしたが、昨今は、よほどの余裕がなければ、さすがになかなか難しい……今となれば、学生の頃に、かなり無理やりにでも、行っておいてよかったと思う場所も少なからず。懐かしい思い出と共に、今も経験は宝物です。

 

学生の頃は、社会人になってお金ができたほうが、行ける範囲と可能性は増えると思っていたけれど、
実際は、学生の頃のほうが恵まれていたことに、改めて気づく次第。
大人が思うほど自由な時間があったわけではないけれど、体力気力でかなりなムリが効いたから。
それに当時は格安の旅人用旅籠や、学割チケットもあって、ギリギリでも旅ができました。今は交通費と宿泊費が一番のネック。
また、いい歳した大人が変にみすぼらしいと、浮浪者不審者と間違われがちだから、それなりに体裁をキチンとしていないといけないし……

 

時間と資金が限られていて、行ける範囲も限界があると、その範囲内での歴史ある古蹟は、有名観光地でもあるし、それはそれで名所ではあるけれど、
かつてのような自分らしさが出てこないし、クリエイティブな発見も少ない。

 

昔のように、一日がかりで、訪ねる人などない故地(作者未詳の注目されない和歌一首に、地名だけ出てくるような、古蹟とも呼べず、なんのよすがも残らぬ、ただ寂しいだけのところ)を訪ね、暗くなるまで駆け回り、古蹟や地霊と語り合う時を持てるような……
そんな旅を、またしたい。


何もない、昔を偲ぶよすがもない、けれど草木繁る土の中、風の中に、私だけが感じられる響きがあって、和歌の名残りがある。
そこから疑問がわきあがり、推論や考察に浸ることで、心のワクワクがはちきれるまでに高鳴る刺激は、そんなひそやかなフィールドワークでなければ得られないのです。

 

……とはいえ当時、若い娘がひとりで、大人の男性でさえ危険かもというようなところ(人災や犯罪も含め)へ、やたら行っていたので、
大人たちからはよく怒られていましたし、客観的に、無事だったのは運が良かったとしか(^^ゞ
実際、今思えば危なかったかもという場面も、一度や二度ではなかった気がしますが、“女に見えないヘンな女”外見と、金持ってそうに見えないみすぼらしいフィールドワークスタイルだったのが、こういう場合、功を奏したと思ってます


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ささめごと 誰も見てくれなくていいかもしれない…


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芭蕉ではありませんが、話しても、唇が寒いばかりの話という部類があります。
話すには、人と時を選ぶたぐいの…

 

私は、特に何かの能力があるでもなく、ただ敏感体質なだけですが、
それでも気づけば不思議な流れで、あまり他者が立ち入れず知り得ない、歴史的な環境や境遇を実体験として経験できていて、

それは目に見えぬ、社会的経歴にもならないながら、自分の財産のように有難く思っています。


そして、その場所にかなり長く関わったとか、ちょっと特別な理由でそこにいたから、またはたび重ねて踏査し研究している中で直感的に感じた…みたいな状況で、わかったことがけっこうあります。

 

古代和歌の研究をし、短歌を読み、能楽の実技を並行してやっていたから、感性や体感で、気づきやすかったのかもしれません。

 

感覚的な部分で気づいたこと、さらにはそれが現実として顕れていることで、確信しています。実証まではできませんが、
たぶん、名だたるそれ系の特殊能力者も、ずっとそこにいたわけではないから、違う次元は読めるけれど、そちらは意外と気づかれないんじゃないかと思う…

 

最強のパワースポット!!と言われている場所ほど、その多くは、良くも悪くも歴史的にいわくつきでもあり、それは時代を超えても歴史の積み重ねと人の寄せる想念で、良い方も悪い方も現在進行中。

 

かつてそこにいた時には、暗く冷たい闇しか見えなかったけれど、今、光ばかりの中にいるから、さらに確信できる。
今現在は、私も琴のおかげで、多くの聖地では、明るい光の部分を見るようにしているから、最近の印象で悪いことはありませんが、
かつて命に関わるほどの思いを味わったところは、今も闇が見えて、近づけません。そして誰もが、「パワースポット〜💕」と喜んで私欲をさらけ出すのを、危なげに見ているしかない…

 

特別な話ではないけれど、これ、話してもいいのかな…と、時々思います。
とはいえ、誰にでも話せることではないし、言うべきことではないかもしれない。
人と状況を選ぶ話だし、もちろん信じる信じない、どう感じるかはその人次第だけれど、
これまで話すのも、どこかに書くのも、ためらわれてきました。

 

でも、心に留めきれなくなることがある。
とりあえずは、ひと目に触れぬアナログな形で書き残しますが、何世紀か経って世の中が全く変わり、平成令和も古代となった頃に、
今現在“偽書”とされている記録類みたいに、誰かに読まれたら、それはそれで面白いかな…なんて。

思うこと、思い出すことなど


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ちょっと、浮世離れした妙なことを、しばらく書き続けるかもしれない。

このところ、幼かった事から十代頃までの、当時は当たり前だがなぜか人と合うところがなくて、今となれば不思議だったような......忘れていたことなどを、実感として思い出すことが多くなっているから。

思い出すままに、書き残しておく。

 

先に、今現在に至る、気づきのきっかけから書いておくと、

 

私は、今はやりのスピ系とは違う次元での、スピリチュアル感覚だと、二十歳で文系研究者の道へ入った時に気づいた。

その頃はまだ日本に欧米のニューエイジやスピリチュアル思想が入ってきたばかりの頃で、単に水晶が好きだというだけで変人扱いされ嘲笑されるような時代だった。パワーストーンの店などが増えるのはそのあとで、そもそも水晶や、勾玉のようなものすら、今のように簡単に手にできる時流ではなかったと思う。

 

古代国文学、特に和歌の研究室に進み、自身も短歌を読んで活動していた院生の頃。

もともと古代や和歌に惹かれたから、その分野に進んだのだけれど、私の考え方感じ方が、他の先輩や同期とは全く違う次元に基づいていることに、だんだんと気づいていって、やがて完全に異端となった。

史学としての古代史は、発掘や文献などによる実証を規範として考察されているけれど、古代国文学の分野は、資料が少ない分、一部では発想や哲学的思想で論証される部分も多く、研究者の世界でも、発想の仕方が様々だったが、私の場合は風土的なことから直観的に入ってくる感覚により、論を立て始める傾向があった。

憧れだった奈良大和に足しげく通い、どこという確証がないような、なんらか歌が読まれたとされる古地を訪ね歩いて、その土の匂いや風や木々を感じることで、直感的に浮かんだことから着想する。論にするにはかなり困難な方法だったけれど、先達からは興味深いと評された。

私自身が歌人だったから、その土地で短歌が浮かぶ発想と並行して、直感を得ていたのだろうけれど、その感性は、土着の土地の鼓動を感じるのに似ていることから、原始スピリチュアル、アニミズムに近いことに気づいたのである。

 

同じ頃、並行して、能楽の舞・謡・囃子の実技を習っており、神や地霊、幽霊、物語霊などの表現を体現していたことも、直感を得る上で大きな影響を受けていたと思う。

 

その後、ブームになった、主に欧米のスピリチュアルに、自分は近いような気はしていたけれど、実は欧米系の思想とはまったく和さない感覚も覚えていた。

大和古代国文学を研究する上での、日本の原始的思想や価値観と、似ているようでそれは異なる。主に「禁忌」とされる部分に、それは大きい。欧米スピでは推奨されることが、日本では「危険だから触れてはならぬ」領域のことが多い。それはあまりに深淵なため、魂の鍛錬なしに好奇心で触れるのが危険なため、古来禁忌とされてきたものだが、いわゆるスピ系のかたがたは、禁忌こそ真理に扉とばかりに、安易に触れてしまう。それは飢えて血を求める猛獣に抱きついていくようなもので、いっときは何ごともなくても、いずれ結界を崩していくように「ケガレ」が浸食し、取り返しがつかないことになる。

私はそれを、本能のどこかで感じている。それゆえ、世間一般のスピ系とは意識が合うことがない。

 

私自身になんらかの特殊能力があるでもなく、単なる直感に過ぎない。奇瑞を起こす力もない。だから私には何もいう資格も権利もないから黙っているが、

いわゆる霊媒体質、霊能力というのは、実は誰でも持っているもので、敏感なら簡単に憑依される。問題はそれを抜いて正常に戻すほうで、それをできる審神者はほぼ存在しないと言われている。また、現代人は全体的に、よほど優れた魂でも、合わせられる次元の高さは、古代の人々に比べようもないほど低い次元でしかない。

だから、ちょっと敏感な思い込みで、安易にスピ活動などするものではないのだが……

 

今は、それはともかくとしておく。

 

研究として、和歌文学の考察をするのはとても興味深かったけれど、答えとして実証するすべのないひらめき……万葉和歌の場合、類例のない表現や、当時は当たり前だったかもしれぬが後の時代には理解不能と思われる、ゆえに説明できるものが残されていない表現が多く、そこに私は興味を惹かれることが多かったが、話としては面白くても実証できなければ研究として成り立たない、その困難さゆえに、「研究者」を内にこめたまま、表向き、「創作」「小説」としてしか、表すことができないと、ある時期から諦めることにした。

信じる信じないは別として、興味や、琴線に響く人がいれば、それでいい。

フィクションやファンタジーとしての表現も、なかなかに困難だったけれど、おそらくそれしかないと、今も思っている。

 

そのことを表すことに、本能的に畏怖感があるため、ずっと筆が凍り続けていたのだけれど、今生の命があるうちに、人目に触れずとも、形として残しておかねばと、近年、とみに思うようになった。

 

私にできることは、これしかないらしいので。

 

誰かに話したかった晴明神社の景色✨

少し前に、京都西陣晴明神社様に参った時ですが、ふと気がついた、この景色✨f:id:shihina_takisato:20220515160841j:image

堀川通りからバスを降り、移転された一条戻り橋と式神の人形、売店等のある広場を通り、

神社敷地内に入る、この鳥居を抜けると、f:id:shihina_takisato:20220515160857j:image

おそらく夜間は閉じられている扉が、開かれています。

その扉には、晴明桔梗紋・五芒星がありまして、f:id:shihina_takisato:20220515160918j:image

この銀に輝く星が、太陽で反射して、地面に。

影を重ねると、

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\(^o^)/♪

陰陽師』の映画だったら、五芒星に呪縛されてるみたい!!

いや、気分的には闇を清めて守られているような感覚で✨✨✨

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うわ〜すごい🎶と思ってしまい、

ひとりで来ていたけれど、誰かに話したくて話したくて(^^ゞ

でも見知らぬ人に言い回る変な人にもなれず😅

写真に撮りまくりました✨

 

晴明神社には、かつて参った際に、ある記念にお守りの念珠をいただいたのですが、

しばらく後に、あり得ない失くなり方をしたんです。普通に身につけていたのに、ふと気づいたら手首から失せていて…

その後、たまたま持っていた五芒星のものが、立て続けて壊れたり、失くしたりが続き、手持ちがすべて失われました。

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それに加えて、「桃」にまつわるシンクロが続き、

なんだかよくわからないけれど、晴明神社に行かなければいけないような、駆り立てられ感があったんです。

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ちょうどいい折りがあって、無事、晴明神社にお参りが叶い、再び桃モチーフの念珠をいただき直し、

珍しく人出が少ない境内に数時間とどまり、ひっそりと琴を奉り、

 

一度やってみたかった、堀川に降りてみて、一条戻り橋の下で、琴を弾きました。


京都・一条戻橋の下で、春 - YouTube

 

今は堀川も遊歩道が整備されて、式神が隠されるような趣も、あの世とこの世の闇のようなものもなく、

けれども、何かが鎮まる心地を祈りつつ、琴を奉りました。

 

野村萬斎さんの『陰陽師』は好きですが、私は、そこまでの安倍晴明フリークでもないし、

神社としても、晴明神社は神を祀るのとは違う異質感があって、これまで研究に関わる用事以外では滅多に訪れなかったのですが、

最近、なぜかシンクロめいた話題が、やたらに晴明神社に繋がっていて、機をみて、また何度でも参りたくて、たまらない心地になっております。

なぜかな?

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#琴奏巡礼 #京都 #晴明神社 #桃の念珠 #五芒星 

琴奏時の 無意識の左手

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5/1 月初めの早朝、毎月恒例の朔日神事にて、琴歌を奏しに、小田原へ参りました。

 

過去、台風直撃と、風邪で発熱(コロナではないけれど時流柄出歩けず)の時以外は皆勤、

参列の氏子様や崇敬者様方にも、月ごとにだんだんと、認知していただけるようになり😊

 

今朝は、御神事のあとで、いつもよりお声がけいただいたのですが、
その中に、思いがけないひと言。
「左手の指の動きには、何か意味があるの?」

 

…左手指?

 

私の琴は、一弦一音なので、ギターなどのように左手で押さえて音階を変えることはできません。
右手は音を察知しつつ弦をはじいていますが、左手は、琴の胴を支えてバランスを調整するくらいで、まったく意識していませんでした。

(あ、でも、動く範囲では左手指でも弾いているな(^^ゞ)

 

ですが、そのかたが言うには、音と関係なく、左手の指がそれぞれ、微妙に繊細な動きをしている(ように見えた)そうで、何かの効果か、意味があるのかと思ったと。

 

え〜〜😳✨まったく気づきませんでした😍
マンドリンやってた名残りなのか、
感応して、音や歌をおろす際に、アンテナのような役目をしているのかしら🥰

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今朝は我ながら“明鏡止水”の境地で歌をおろせた感がありましたけれど、
その和歌についても尋ねられ、季節や場による即興と答えたら驚かれました。

 

しっかり受け止めて、聞いていただけ、見ていただけているのだなぁと、思いがけぬ発見に、自分でも驚き、
嬉しい5月の始まりでした🍀

 

*****

次回ワークショップは、5/21です😊


『大和いにしへを 歌い 知る』

瀧里しひな

2022/5/21(土)13:30-15:00
於:春日井カフェたいよう

いにしへの歌びとの物語を知りながら、やまと歌を歌ってみませんか。

https://www.facebook.com/events/685732369215063

 

 

#琴歌巡行 #御神前奉納 #やまと歌を奏でる #朔日参り #無意識の境地

ナナちゃんバースディ🎂

明日のワークショップのため、高速バスで遥々半日がかりで名古屋へ。

 

楽しみのひとつが、今日のナナちゃんはどんなファッションかな?🥰なのですが、

あれ…ケーキ?🎂

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へえ〜〜〜✨

 

ナナちゃんて、今日4/28がバースディなんだ😍


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ハッピーバースディ💝でぃあナナちゃん💕


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*****
『大和いにしへを 歌い 知る』

瀧里しひな

2022/4/29(祝)13:30-15:00
於:春日井カフェたいよう

いにしへの歌びとの心となって、やまと歌を歌ってみませんか。

https://www.facebook.com/events/685732369215063

 

#琴奏活動 #ワークショップで愛知へ #ナナちゃん人形 #4/28はナナちゃん人形バースディ 

神社ご奉納記録


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4/10 奈良・龍田大社にて、ご奉納させていただきました。

 

五十鈴たたら舞:加藤おりはさん
琴歌奏:瀧里しひな

 

神様にのみ真向かい、宮司様立ち会いのもと、人知れず執り行いました内々のご奉納です。f:id:shihina_takisato:20220424085257j:image

瀧里にとり、故郷に並ぶ産土というべき、生涯かけて長く深いご縁の御神域。
そのご恩寵により、公私にわたるご奉納は、3度目になります。

 

次元が変化した感覚と、この上なく清らかな風に包まれる、至高の斎庭となりました✨✨✨f:id:shihina_takisato:20220424085151j:image

*****
『大和いにしへを 歌い 知る』

瀧里しひな

2022/4/29(祝)13:30-15:00
於:春日井カフェたいよう

いにしへの歌びとの心となって、やまと歌を歌ってみませんか。

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https://www.facebook.com/events/685732369215063/

 

#琴奏巡拝 #御神事ご奉納の旅 #五十鈴たたら舞 #龍田大社 #風の神 #和歌招く琴のね
#春日井カフェたいよう #和歌うたうワークショップ

ちょっと吐き出し😞

SNSとかブログをやる場合、

特に活動記録などでは、あまり私情を入れず、

いかに満たされていて、光あふれて、ポジティブか…を表し、

落ち込んだり、マイナス思考や、ネガティブなことを書くと、自分のためにならない…と、言われたことがあります。

 

カリスマ的な人だと、たまにちょこっと、疲れちゃったり落ち込んだり、てことを書くのも、親しみを持ててもっと好きになりました💓なんてこともあるでしょうけれど、

なんでもない人の弱音なんて、誰もあえて聞きたくも知りたくもないと思うし、

愚痴やネガティブ発言ばかりの発信なんて、見たくもないと思います。

 

でも、たまに、心にウソをついてまで、

楽しい!嬉しい!幸せ!なんて言えないこともある。

 

そして、誰が見るでなくても、どこかに吐き出したいこともあると思う。

 

人間だもの。光ばっかりで生きていられるひとなんて、きっといない。

 

人の悪口を書くつもりはない。

ただ、自分の劣等感を持て余して、誰にも打ち明けられず、ポロッと吐露することも、あってもいいと、思いたいです。


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高速バスに乗ってます♪車窓風景

コロナ禍以来、遠出をすることもありませんでしたが、活動が活発化してきたことで、少しく出かける機会が入るようになりました。

今回は、現地での打ち合わせとご奉納の予定により、京都経由で奈良へ。

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以前は関西行は、もっぱら夜行バス派だったのですけれど、主に利用していた便がコロナでなくなってしまい、

さらには、冬場にコロナ対策で空調を効かせた夜行バスに乗ったら、コロナ以前に普通に風邪をひきそうだし、長時間密室状態にいるのも警戒されて、しばらくはあきらめて新幹線を利用していました。

 

ですが、交通費もかさむし、春になってそろそろ暖かいしで、今回は思い切って、昼便の高速バスを利用してみました。

朝に出て、順調で7時間かかるけれど、現地で用があるのは夜から明日なので、急ぐわけでなし、

鈍行電車のように、途中乗り換えしなくていいので、バスの中で、資料読んだり、パソコンで文書書いたり、景色を楽しめる移動書斎として、作業もはかどるので、高速バス移動好きなんです💕

 

8:50 バスタ新宿から発進🚌

ここを利用するのも、2年以上ぶりです。
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たまたまだったのですが、とれた座席が二階席の最前列だったので、景色の最高なこと😳f:id:shihina_takisato:20220409114939j:image

乗り鉄ならぬ、乗りバス気分で、内心大はしゃぎ🥰

 

首都圏から横浜町田あたりまで渋滞、止まりはしないものの徐行運転で、足柄休憩の時点で一時間の遅れが出ていましたが、

私はむしろ、ゆったりドライブ気分を味わえて、快適でワクワク💓

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夜行バスだと当然周囲は真っ暗だし、寝てしまうので車窓は見られませんが、昼便は楽しい🎶

季節柄、桜が散見されるのがまたステキ✨f:id:shihina_takisato:20220409120016j:image

 

車内でひと仕事するつもりで、重い資料やパソコン持ってきたのに、車窓に釘づけで全然はかどらない😅

まぁ、ガタガタ揺れて画面は見づらいし、キーは違うの押しちゃいがちだし、ムダに疲れて効率悪いので、途中であきらめて、

景色見ながら、浮かんだ着想をメモするに留めました。

 

松田あたりから、富士山が頭を覗かせます🗻f:id:shihina_takisato:20220415194029j:image

二階席最前列、まさに高みの見物♪

前面が開放されて、特等席です\(^o^)/

狙って選んだわけじゃなく、予約段階で、この席しかとれなかったんです。乗り降りは面倒な席ですが、なんてラッキー🎉
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11:15~35 足柄サービスエリアで休憩。

東海道線側からより、やっぱり足柄御殿場側は、雪がスゴい!!

私の故郷の駿河側を表富士といった場合、そちらは雪が少なくお顔となり、背面側の御殿場・富士吉田側が、髪長く白い衣の裾を引く姫君の姿になるのです✨
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このあとはスムーズに走行。

新東名。

 

13:30~52 道の駅 新城で休憩。

三河💕💕💕

大好き✨花祭の里\(^o^)/

(写真撮り忘れた💦)

 

四日市あたりから、鉄柱が増えてくるなぁ…て感じ始め。

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わ〜、Aがいっぱいだぁ😆な鉄橋を渡り、

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なんだか、時代を間違えたような光景。

産業革命的な。

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そして、キリンの群れ🦒
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遊園地まで、工業地帯的。f:id:shihina_takisato:20220415192245j:imagef:id:shihina_takisato:20220415192616j:image

最近、こうした沿岸の工業地帯は、夜景が有名らしいですね。

私の故郷に近い、富士市の製紙工場一帯も、近年、岳南鉄道からの夜景が売りになっているそうで、無骨な風景が宝石になるのは、なんだかドリームを感じます✨✨✨

夜の高速は、自分ではムリですが、いつか見てみたいな👁

 

高速道路だけれど、塀で遮蔽されていないし、ほぼ山道を通るので、周囲の景色が本当になごみました☺️

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東京〜横浜町田あたりまでの渋滞により、約50分ほど遅れて、京都着。

景色を楽しみつつの、快適な8時間ほどのバス旅行でした🚌

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さ、これから真剣勝負!!

 

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『大和いにしへを 歌い 知る』

瀧里しひな

2022/4/29(祝)13:30-15:00
於:春日井カフェたいよう

いにしへの歌びとの心となって、やまと歌を歌ってみませんか。

https://www.facebook.com/events/685732369215063/

 

#高速バス 

しるこサンドらぶ💕

琴の活動の一環として、頻繁に愛知へ出向くようになって、しるこサンド摂取率がアップしています(^^ゞ

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もともと、関東の近所のスーパーに普通に売っていて、あんこ好きな私が、気持ちだけでも…と買ったのがきっかけでしたが、

自宅での仕事中に、小腹が空いてちょこっと甘いものが欲しいな、て時に、2つ3つつまむのにちょうどよいのです😋

 

それで、常備食として、ほぼリピ買いし続けていたのですが、

愛知へ行くと、駅でもコンビニでもドラッグストアでも、特設して置いている。

改めて確認したら、小牧市で作っているのですね。

 

よくよく私は、愛知の味によく馴染む🥰

 

最近は、職場や身近な知人へのおみやげも、菓子折りではなく、これにしちゃっています(^^ゞ

安上がりというより、かさばらなくていいし、大勢で気兼ねなくつまむのに最適なので。


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抹茶味というのは、愛知で初めて見たし、

季節限定もあるんだ!

春は、桜でした🌸

ほんのり桜色と、さりげなく桜餅のような風味…f:id:shihina_takisato:20220414124300j:image

どっちかというと、梅のほうが美味しそうなのにな🤤と思いつつも、愛知の粋な味を楽しんでいます✨✨✨

 

さて、次回のワークショップは連休初日。

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『大和いにしへを 歌い 知る』

瀧里しひな

2022/4/29(祝)13:30-15:00

於:春日井カフェたいよう

いにしへの歌びとの心となって、やまと歌を歌ってみませんか。

 

https://www.facebook.com/events/685732369215063/

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#愛知らぶ #しるこサンド #琴歌巡行 #和歌を知り歌うワークショップ #カフェたいよう