甕森神社にて 即興舞台
2年前の記録ですが、11/3 茨城県鹿島神宮周辺の古社・『甕森(みかもり)神社』にての動画。
琴のねに、舞人が舞います。
モノクロのように映り、まるで古代の時空にスリップしたかのようで、気に入りの記録です。
『甕森(みかもり)神社は、霞ヶ浦を望む高台にある、原始のまま今も手を入れて祀られているような印象の古地でした。
近くに大木の守られた古墳もあります。
静謐な森…巨木に穏やかに守られつつ、伝統を秘めながら地元の誇りを抱いて鎮座するお社。
時と共にゆかりある神々が祀られており、
訪れるべき心ある人が訪れると、地形的にも由緒的にも、さまざまな特質が垣間見える、
ささやかながらも奥深き聖地です。
ご本殿から一段下がった台地が広場になっていて、
第一印象から「海を望む遥拝の奉納舞台のよう」と感じました。
ちょうど、楽人と舞人数名が立ち働くに、よいくらいの広さなのです。
心惹かれ、枯枝や下草を踏み越えてそこに入り、心のままに琴を弾くと、同行の友人が舞いはじめました。
こうした、直感的な響きに任せる共鳴の時が、至福です✨✨✨
ただ、思い浮かぶ言葉を並べて口にするだけの、即興の和歌。文字文化以前のいにしへのままに、言葉そのものに深い意味はありません。
齢ふる木々のさやぎ、柔らかな土の湿り気、晩秋の虫達の終焉のいとなみ。
荒れる時は荒れるままに、祀られて守られ、そして鎮まる、激しさと優しさ。
〜あるがまま 神のまにまに あめつちの みいつは長く 鎮まれるかな〜
このひとときの琴のねは、整いて、常よりも響きが鋭く澄むように感じ、ここで奏でるえにしを喜ぶかのように、心さざめきて、ときめきました。
甕森神社の祭神は,建波槌大神。
鎮座地は,鹿島神宮を対岸に臨む北浦にあり、朝廷による東国攻略のために軍を露営させた場所、また徴兵された防人たちが露営したと伝わる地で、朝廷との物資交流、酒や食料などの御食(みけ)や軍事物資などを、霞ヶ浦から陸上げした拠点のようです。
鹿島様については、物忌の伝承に興味があり調べた程度で、関東のお社に全体あまり詳しくないので、折を見て改めて知りたいと感じました。
そして、またここへ参りたい。
琴奏・デパート屋上オープンカフェにて
緊急事態宣言が明けて、最初の週末は、台風が行き過ぎたあとの心地よい晴天となりました。
個人で引き受けた仕事の打ち合わせのために、たまたま朝から都心へ出向いた、その帰り。
文具の補充と、本屋を覗きに、駅ビルのデパートに立ち寄ったら、さすがにどこもすごい人出。いくら緊急事態宣言が解除されたとはいえ、油断大敵、早々に引き上げるか…と人混みを避けていたら、
ふと、屋上庭園があることに気づきました。行ってみると、不思議なくらい人がいない。
デパート内はどこのカフェも満席なのに、ここのオープンカフェは誰もいませんでした。
風通しのいい、心地よい秋晴れの中、最高のロケーション独り占め♪これはもうノマドしなけりゃもったいないでしょう(^^ゞ
ついさっきいただいた仕事の確認も兼ねて、パソコンを開きました。
高層ビル越しの秋空、爽やかな秋風、ビルの下からは雑踏の音。それらに囲まれた空中庭園のカフェで、ひとりきり…
この時、私は、スキル発動のフル装備でした。
万年筆にモレスキン、パソコン、そして琴も持っていた。
イマジネーションとインスピレーション、出し放題です。
パソコン作業と執筆の合間に、琴を爪弾いてリラクゼーション。
琴奏・デパート屋上オープンカフェにて、ノマドの合間に - YouTube
風と空調の音がすごくて、実は自分で弾く音が、自分で聴こえていませんでした。
ただ響きが心地よく、弦を指でくすぐるように、指遊びしていた感じだったのですが、意外に音が録れていますね。
かなり長い間、新鮮なバナナジュースを味わいながら、書いて、弾いて、打ち込んで…と、至福の時を過ごしましたが、
午後も中盤となった頃、少し離れた遊具スペースにお子様連れのご家族様が増え、カフェも賑わい始めました。
そろそろ座っているのもしんどくなり、少し周辺を歩くことに。
緑が多いエリアは、ハーブガーデンになっていました。ここも人が来なくて静かです。
葉を少し指でこすって嗅ぐと、爽やかな香りにリフレッシュ。
ささやかな空間ながら、さまざまな彩りと緑の匂いにあふれ、愛らしい花や実が揺れています。
ビルの上にいるのではないような心地。小さな小さな森です。
おや、蝶々がいる。
風に煽られながら、丁寧に蜜を吸っていました。
〜秋風に 琴をくすぐる 音遊び 香りの庭に 羽衣の舞ふ〜
なんだか、とてもいい時間を過ごせた充足感。
久しぶりの開放感。
ひっそりとささやかながら、すごく贅沢な心地…
その余韻に浸りつつ、空腹を覚えてしまい、
帰宅途中、まだランチをやっていた庄やさんで、奮発してマグロ盛り丼食べてしまいました(^^ゞ
千円の贅沢🥰とろける〜美味しすぎる。
お酒を出すお店の料理は、やっぱり美味ですね!
(ちなみに私は、ひとり食べ外食はしても、ひとり飲み居酒屋はしない派なので、庄やさんは初入店で、アルコール解禁となってもせんべろはしてない…でも居酒屋ランチはまた食べたい😋)
ハメを外さない程度のおでかけ、ひとり時間。
いっとき、人混みを避けられて、風と太陽を浴びて緑に触れられ、
大好きな作業道具と琴に囲まれて、ひとり贅沢を満喫できた、幸せな一日でした✨
天河大弁財天社の思い出 〜捧げものとしての芸能者〜
天河大弁財天社のご神前にて。
3年前の動画です。
ちょうど3年前の今日の記録としての動画が出てきたので、改めてYou Tubeに記録しました。
まだご神前で琴歌奉るようになったばかりの時期です。
この翌年…令和元年の夏至の宵に、音・舞・歌のそれぞれを、3人が依頼を受け、
私にとっては仰ぎ見るようなかたがた、“音”の奈良裕之氏、“舞”の加藤おりは氏と共に、私が“歌”の担当として、ご神前能舞台にて、ご依頼者主催の神祭りをさせていただいたのでした。
この時の、御神気に包まれ周囲の山川の波動に心身を任せた記憶は、魂の奥底まで留まり続けております。
動画は、ご依頼者から最初にご神事のお話をいただいた後、天河にご挨拶に伺った際に知人が記録してくれたもの。
他者に撮っていただいた、撮られていることに気づかずに奏でていた、私にとっては貴重な動画です。
ご神前の真向かい、動画で私が立っている拝所を挟んで、能舞台があります。
本番の際には、宵闇の仄明かりの能舞台に立ち、まさに神様と真向かう位置にてご奉納いたしましたが、天上の雲の上にて、周囲の山や川の氣がいっせいに押し寄せる中心に立つような、恍惚とした夢見心地でした。
奥吉野のさらに奥深い隠れ里の聖地・天河神社は、いにしえに天女が五節舞を伝授した伝もあり、古来より芸能の神様として名高いですが、
観世流能楽を確立した世阿弥の早逝した長男が、こちらを尊崇し、名物の能面を残した伝もあることから、ことに神事としての能楽にゆかりがあります。
現宮司様のお働きにより、現社殿が造築された頃には、宇宙と繋がり天啓を得る、クリエイターやアーティストの聖地としても知られ、特にニューエイジのかたがたにとっては憧れとなりました。
それゆえ、こちらの舞台に立つ機会を持てることを、なにか特待の権威のように喧伝するかたも多いのですが、実際はご祭事以外で、神社様公認の芸能がおこなわれることはほとんどありません。
お舞台は神社に使用料をお支払いして、その時のみお借りする取り決めになっており、おこなわれる活動は神社とは直接関係ないことになっています。
これはどこの寺社でおこなったとしても同じで、神社様から直接のご依頼をいただく場合以外は、その寺社の名のもとになされたものではなく、単にそこで自主的に奉ったということを明らかにしなければ、失礼であり、ご迷惑にもなります。
私が立たせていただいたのも、ご依頼者個人の企画でした。
天河様のお舞台をお借りして独自に天河様に捧げる、神社そのものとは無関係の、けれども天河様でなされることが望まれたご奉納です。
祈願者が俳優(わざをぎ)や舞人・歌びとを個人で招き、神々に捧げるための神遊びをおこなう、古式の奉納芸能の形式に則って企画されたもの。
つまり私の立場は、お賽銭や奉献酒と同じ、捧げものです。
依頼者・参加者たちは、私たちの芸を、神々に捧げた撤饌として、垣間見、神々と共に楽しむスタイルになります。
光栄だったのは、ご依頼者がもともと天河神社宮司様とご縁が深く、予めこちらでおこないたい大事な主旨をお伝えしていたため、
さらに、ガイアシンフォニーでご縁が深かった“音”の奈良裕之氏と、五十鈴たたら舞をなさる“舞”の加藤おりは氏(五十鈴は天河神社の御神宝です)が参加なさることもあり、宮司様がお立ち会いくださったことでした。
こんな素晴らしい場において、“歌”の私のみが無名で場違いみたいでしたけれど…
ご依頼者によれば、真の古代神事さながらに、斎場にて琴を弾き和歌をおろすことができる、名もなき無私の歌びとを探しており、たまたま人づてに私を知ったことが、企画のそもそもの始まりだったそうで、
むしろ無名で目立つ活動をしない私がよかったとのこと。
誰知らぬ私をたまたま知ったこと自体が、ご神事をおこなう必然と思われたようです。
私にしてみれば、目立つこともできず人脈もないのに、不思議にご縁があってご神前に導かれることこそが、ご神意と思えて、畏れ多く有難い限りです。
個人で努めてジタバタしたところで、とてもこのような僥倖に恵まれるとは思えません。
夏至の宵の記録。左が奈良裕之氏、右が加藤おりは氏とペアの丸山太郎氏。最後にご挨拶に立った時の写真。
この舞台の記録は、ご依頼者がこの夜限りのご神事ゆえ参加者の記憶のみに…とこだわったこともあり、写真1枚しか残っておりません。
光栄なご縁と、感謝の思いにあふれた、生涯の宝の思い出です。
琴奏・小田原城を臨み 秋風と虫の声と共に
小田原駅前商業公共施設・ミナカ小田原の展望庭園にて、
小田原城の夜景を臨み、琴を弾きました。
秋らしく涼しい風の吹く中、虫の声がほのかに聴こえます。
琴奏・小田原城を臨み 秋風と虫の声と共に - YouTube
サムネイル画像を入れるのに、初めて成功しました。
動画とはいえ、かろうじて夜景が見える定点にカメラを置くのが精いっぱいなので、
音のみ聴き流して、風情のみ感じていただければ幸いです。
小田原駅は、帰省や西向の際に中継で必ず降りているけれど、駅舎が新しくなって以降、駅から出たことがなかったので、ターミナルからこんなに綺麗にお城が見えるとは知らず、
(旧駅舎はビルじゃなかったから、駅からお城は見えなかったような…)
特に駅ビルから続くミナカ小田原が、街道宿場町を再現した町並みに作られていることも初めて知りました。
日が暮れると、さらにいい風情。
ずっと東海道線から眺める程度で、これまで小田原城に行ったことがあったか覚えてない。子供の頃に行ったか?以前、象とかいたっけ?
そんな具合で、記憶も定かでないから、ほぼ初めてといっていい感覚で、小田原城址公園まで行ってみました。
駅から少し離れてるかと思っていたら、散歩がてら歩くのにちょうどいい距離で、城址公園内も散策路として広すぎず最適な規模に整備されていました。
猿の檻があったり、小さな遊園地があったり、二宮尊徳翁を顕彰する「報徳二宮神社」もあり、
地元にも観光客にも楽しく親しみやすい憩いの場という感じ。
戦国時代の北条五代の栄華と、豊臣秀吉が全国の武将を率いて攻めた歴史舞台として有名ですが、
対する天下人秀吉が建てた一夜城は、短期間で建てたとはいえ、まだ関東で類を見なかった、石垣も天守も備えた山上の堅城とのこと。
小田原駅側の展望庭園から、今の小田原城天守を臨むと、その向こうに見える山に築かれたであろう一夜城をそのまま連想してしまい、
当時のこの地から見えた一夜城は、どれほど脅威的驚愕的に見えたろうと、ドキドキしてしまいます。
…戦国って、片側のめざましい華々しさが、どちらかの悲劇と滅亡になるわけなので、想像するのがちょっと苦手で、このあたりの歴史は教科書的にしか知っていないのですが。
古城とはまさに盛者必滅、兵どもが夢の跡、なんですよね。
北条氏が退いたあと、徳川期に修復されて今の城郭が造られたせいか、石垣も立派で、どことなく江戸城跡の造りを簡素化したような印象があります。
お城のことは詳しくないし、たくさん観てるわけではないから、単に印象だけですけれど。江戸城跡には仕事で長くいたことがあるもので…
今回は天守に上がらなかったけれど、海と山とに囲まれた絶景を一望でき、天然の要塞の趣を実感できるのでしょうから、
高層建築なんか他にない時代には、一国一城、まさに昇りつめたような気分だったでしょうね。
今のお城自体は、戦後に忠実に再建されたものだそうで、
ここもご一新後の明治以降にさまざま変遷があったものの、象徴的な場所だけに軍事施設や御用邸などがあったせいか、風格を残しています。
しかし威風堂々としていながら、今は尊厳よりも、地元に根ざして親しみやすい、身近な優しい風情に思えました。
同県内だし、乗り換えなしの電車一本で行けるエリア、でも、これまで歩いたことがなかった、風情ある城下町・小田原。
今さらながら、大好きになりました。ちい旅がてら、また行きたいな。
本当は城址のどこか、人けの少ない静かなところで、琴を弾きたいと思って行ったのでしたが、混みあってはいなかったものの、どこにも人が憩っていて、ひっそりと…というのは難しかったです。それだけ親しまれている場所なのですね。
ご奉納とか人前で弾くための場以外の時、個人的に神社や史跡や公園などで弾く際には、なるべく人のいない密やかな場で、その土地と対で向き合うようにして弾くのが常です。
結局、小田原で弾けたのは、ミナカ小田原の展望庭園だけでした。ここも足湯スペースがあったり景色がいいから、もちろん人はいますけれど、端っこはそこそこ穴場だったので、
お城と海や山を眺めながら、空に近い緑のあるところで弾けて、心が解き放たれるように、幸せでした。
和装衣装での神楽舞台
都内北区・七社神社様の神楽殿にて、ひととき、場をお借りしました。
お盆前後の数日雨続きと夏冷えの期間が明けての、夏の戻り。
再びの暑さではありますが、ほのかに秋風の気配があり、青もみじも涼しげです。
先日の宇宙フェスで、和装デザイナー猪俣和美さんより託していただいた衣装にて、ご神前舞台に立ちたい思いもあり、
緊急事態宣言下ゆえにわずかなひととき、ご奉納させていただきました。
いつもは斎服調の、染めなし無垢無地の麻衣装のみなので、鮮やかな着物地の衣装の趣が、また異なって感じられます。
背後の鏡松にも映えて、とても嬉しい✨
ご厚意でご縫製いただいた衣装なので、これもご加護ゆえの果報かと存じ、ご神前にてのお披露目はその御礼も兼ねております。
お借りしている衣装だったのですけれど、
このあと、正式に私の衣装としてお譲りいただくことと決まりました。
これからさらに、多くの場に恵まれ、少しでも琴線に触れるかたにお届けできる音色と和歌をおろし続けられますよう、祈りをこめて、
末永く、大切にまとわせていただきたく思います。
#琴奏神事 #七社神社 #神楽殿奉納 #和装デザイナー猪俣和美さんご縫製 #真琴 #感謝
京都・清水寺千日詣と送り鐘送り火 〜琴奏〜
〜清水寺の鐘の声
祇園精舎をあらはし
諸行無常の花の色
娑羅双樹のことはりなり
生者必滅の世のならひ
げにためしあるよそほひ〜
(謡曲『熊野』クセ より)
清水寺、8/16の送り鐘。
はるか遠方には、五山送り火のひとつ・船形山が、ここから拝せます。
みほとけたちが、人々に送られて彼岸へと立ち返る宵です。
~こよひ逢ふ人みなうつくしき~
夜間拝観に伺うたびに、与謝野晶子女史のこの歌の末を思い出します。
清水から祇園へ、桜の頃はさらなりですが、
桜でなくとも、夜景の祭典は、見知らぬ人々がみな美しい存在に思えます。
いつもいつも、この日に会う人は、みな涙がこぼれるほど優しいのです。
近年は、琴も共に観音様を拝し、時にひそかに1音のみ爪弾くこともあるのですが、
祈りの響きと、弦のゆらめき、観音様やみ仏がたの波動とが、ご燈明のまたたきと共に空間に溶けて、身にしみいって参ります。
甘露と散華をふりかけていただいたような、至福…
]
20170816 初めて清水寺で琴を弾く - YouTube
清水寺の千日詣りの最終日。
父の遺影を胸に訪れるのが恒例となっていましたけれど、コロナ禍で、昨年と今年は叶いませんでした。
なので、日記をもとに、今年は記します。
京都の観光名所として名高い、これらの名刹に、頻繁に訪れるご縁を得たのは、ここ数年のこと。
かつては、すさまじくごった返している印象しかなく、お参りどころじゃない...と思えて、修学旅行以降、行こうとすら思えませんでした。
それが、夜行バスで到着後の早朝に、たまたまそれぞれに参る機会があって、
人少なく清々しい境内で、神仏の息吹に直接触れる心地を得て以来、すっかり魅了されてしまい、
以来、上洛の機会あれば、必ず足繁く通うようになっています。
現代の観光名所の姿を、現代の自分が見ているので、人にぎわいばかりに目がいきますけれど、
もともと人が集うに至る由縁は、創建当時から千年以上、時代時代の人々が憧れ、心を寄せて救いを求め、祈り続けてきた長い歴史があり、
景観の霊妙な美しさもさることながら、その真髄には、人々の神様仏様への「畏こくも頼もしく慕わしい」想いがある。それゆえに守られてきた聖地という基盤があります。
喜怒哀楽のすべては、生老病死、自分の思うにまかせない現実に翻弄される事由に基づいており、
人は、信仰とは関わりなく、誰しも人智を越えた何かにすがり、救いを求め、手を合わせながら、現実と折合いをつけて生きる希望を見出す時があります。
どんなに楽しそうに見える人でも、裕福で恵まれて見える人でも、逆に、貧しくて、病んで、苦しそうに見える人でも、真実の幸不幸は、その人自身にしかわからない。苦悩や孤独を知らずに生きられる人など、いません。
人も羨む光源氏のような、恵まれて生まれ、人に崇敬され栄耀栄華を誇るかに見える人であっても、常に心に孤独の闇を抱え、路傍で食うにも困る貧しい人々が肩を寄せあうのを見て「下々のほうが幸せそうだ」なんて思うように、
境遇によらず、誰しも、自分を真に理解してもらうことはできないし、誰に満たしてもらうことも実はできず、他を羨み、無いものねだりを繰り返す。
それら無常の寂しさ、孤独、苦しさ、それぞれの願いを受け止め続けてきたよすがが、現在、“観光名所”という通称に変わっても、人々が集まる由縁の根底理由です。
どれだけの人々が、その時代ごとの「今、この時」に救いを求め、すがる心で手を合わせ、命がけで祈り続けてきたのだろう...この神仏は、その姿をどれだけ受け止め続けてきたのだろう...
様相は変わっても、人々がなんらかの想いを抱いて集う姿は変わらないことを、
特にここ数年、父の遺影を抱き、度重なる身内の病に付添い、母を支えたいと願う現実が深まるごとに、
神仏の中に反響する切実な願いに共鳴するかのように、身に迫るようになってきました。
そして私自身も、単に自分の心願成就のみならず、我が身は我のみのためならず、と実感するに至ります。
清水寺の千日詣り、内々陣の特別参拝や、法要に、父の遺影を抱いて参列すると、参列すると、
その場にいる方や、お坊様方が気にかけてくださり、
「もっと前へ。お父様を仏様によく見える所に」と、いざなってくださいます。
さすがに京都のかたはご信心もひときわ深いようで、「お父様が羨ましい。自分も仏になったら、子供や孫にこうしてほしいものだ」と話しかけてくださるかたもいらっしゃいます。
清水寺でご縁をいただいたかたが「お父さんに見せてあげなさい」と、五山すべてが見える場所に招いてくださったこともあり、初めてじかに拜した五山の送り火は、涙がこぼれる感動でした。
本当なら生前に父とお参りしたかった...その思いから、遺影とお参りするようになったのですが、
京都の人間でもないのに、実家ではなくここでお盆を過ごすのも、はじめはどうなのかな~と思わないでもなかったけれど、
京都の方が、地域全体での「あの世」との境界線の近さを感じる気がされて。
多くの衆生に混じり、父とご先祖様の水供養と、観音様への直接のお目もじ、夜は送り火での見送りをしつつ、送り鐘を突いて、
本当に、「あの世」がすぐそこ、目に見えぬ帷のすぐ先の世界ゆえ、ずっと我が身に添うてくださる祖先のおみ霊を感じられます。
ご本尊様に間近い内々陣の薄明りの中、多くの人たちが入り交じり、灯明を捧げる、
その、観音様に祈る姿は、老若男女・貴賎・在所を越えて、おそらく何世紀も変わらぬはず。
清水寺の夜間拝観の後、高台から一部見える送り火を拜し、お坊様のお導きで、鐘楼にて送り鐘を撞かせていただく。
送り火と送り鐘に送られ、父もご先祖様方も、彼岸へ戻られ...
観光客も、ご供養のかたがたも、みな、輝く眼差しで送り火を見、鐘を撞き、
手を合わせる人、はしゃぐ人、悲喜こもごも。
いくつもの時代の残像を見ているような、人々の往来…おそらくは、この世の人ではないかたや、神や仏も行き交う夜闇。
〜こよひあふ人 みな美しき〜
涙ににじむ、ほの灯りの夜闇の中、すべてが美しき宵です。
来年からはまた、遺影と琴を抱いて、参れますように……
琴奏・住吉大社・雨の大歳社にて ~YouTube動画~
雨続きなので、各所で被害がひどくならないことを祈念しつつ、過去記録から。
私は旅や外出時などの際、雨予報でも傘いらずが多いくらいの晴れ女なのですが、
降るとなると、かなりの大降りに見舞われることになります。
この動画の時も、大粒の土砂降りになりました。
四年前……真琴を手にして、まだ4ヶ月の頃でしたが、奈良で、クリスタルボウル奏者で活躍なさっているかたのカフェコンサートに、共に出させていただき、
至福の響きを共に奏で、その感動と光栄で満ち充ちながら滞在していた、その翌日。
ひとりでどこへ行くとも決めていなかったのですが、不思議に心いざなわれるような思いで、住吉大社様へ参りました。
こういうの、神様に呼ばれたっていうのかしら。
この頃、数日お天気が崩れていて、この日もなんとか持ちこたえるかと思ったところ、
大歳社の社内をくぐったところで大雨に閉じ込められ、しばらくそこから動けなくなりました。
私が立ち去れなくなった反面、新たに訪れ来る人もなく、
ひとりご神前に相対する時間をいただき、太鼓の響きのような雨音に胸をたたかれるような心地で、琴を爪弾きました。
こんな弾きかたをしたの、この時だけです。
当時、私を知る人たちもこの音を聴いて、私のそれまでの弾き方と全然違うねと言いました。
でも意識したのではなく、自然と、ここで雨の音の中、エキサイトしたような弾き方になっていたのです。気持ちも高揚していました。
土地により場所により、神社や史跡の場合は特に、そこの氣に触発されるように、リズムや響きがそこならではのものになること、よくあります。
旅や道行きで琴を爪弾く、醍醐味でもあります。
ちなみに琴と旅をするようになったこの頃は、ようやくスマホでの動画撮影を覚えたばかりで、動画というより音の録音のつもりで、定点録画をし、
You Tubeには公開目的というより、データが満タンで保存しきれなくなったから、ただ無編集でYou Tubeに置いておいたようなものでした。
でも今になり、時間が経って自分で聞き直した時に、気づきや発見をあとからできることに気がついて、なんにせよ、音を残しておいてよかったと思っています。
琴奏・大和三山に囲まれ藤原宮跡にて… ~YouTube動画あり~
時勢柄、旅ができないので、記録していた過去の写真と動画から。
学生の頃に訪れた際には、ぽつんと碑があるだけの小さな空き地みたいでしたが、久々に訪れてみたら、平城宮跡のような広大な史跡公園になっていて、驚きました。
大和三山に囲まれ、恵まれた地形。
昔から不思議だったのは、なぜ、藤原宮ができるまで、この三山の地ではなく明日香の方に宮を造っていたのか、でした。
宮…といっても、藤原宮以前は、天皇の住居がいわゆる皇居で、宮殿として整えたのは藤原宮からだったわけですけれど、こちらに天皇が居住地にならなかったのが不思議な気がします。
しかし、大化の改新後に天皇家として国家を形成する、舒明天皇系を象徴するように、『萬葉集』二番歌には、舒明天皇の天香具山での国見歌が置かれており、神聖かつ特別な土地であったことは確かです。
天皇、香具山に登りて望国したまふ時の大御製
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづしま 大和の国は
(『萬葉集』巻一・2
国見歌は、仁徳天皇が民の家々に豊かに煮炊きの煙が立つ様子をことほぐ逸話があるように、現代に至るまで、天皇の重要なつとめのひとつとして、引き継がれています。
内陸部にある低い山から、かもめが飛ぶような海が見えるわけがなく、古来、香具山周辺にはかつて海のような埴安池があり、そこに迷子のかもめが飛んでいた…などという詩的な解釈もされていましたけれど、
実際に見えている光景だけではなく、天皇が収めるべき広い国土を心の目で眺め、はるばると海まで、豊かで素晴らしい様子を「国ほめ」するのが国見歌であり、天皇がことほぐことで豊かさが保証される儀礼です。
また、今も天皇の即位に際して、香具山の埴土や樹木などで占いや儀礼が行われる伝統は継承されているそうです。
埴安池は現存しませんが、香具山周辺には豊かな用水池があります。
三輪山や飛鳥の甘橿丘などの展望台から見下ろす形で三山を眺めると、本当にまるで、天空から誰かの大きな手が、ぽん、ぽんと盛土を置いたように見えます。
三山の中では、天の香具山のみ「天」がつく神聖な山で、神代に天から落ちてきたと言われます。でも三山を眺めた時、畝傍と耳成は、すぐにそれとわかりますけれど、天の香具山は平たく低く見えるので、展望台でも「どれが香具山?」なんて迷う声も聞こえるほどで、なんでこの山が三山に数えられるのか、現代の目では不思議に思われるようです。
でも実は三山の中では二番目の高さで、耳成山より高く、また、単体の山ではなくもとは多武峰から続く竜門山塊と連なっていて、浸食により今の形になったけれど、山の総面積はけっこう広いです。
天の香具山から臨む耳成山。確かに見下ろしていますね。
ここに載せた写真や動画を撮った旅の際、香具山全体を歩くつもりで一日を作ったのですけれど、ゆっくり回ったせいもありますが、全然、回り切れませんでした。
おみそれしました、というような奥深い山です。
そして、三輪や明日香側からでは、どれが香具山かわからない丘陵地のように見えますけれど、実は葛城側から臨むと、明らかに香具山の存在感がわかります。
(それに気づいた時の写真が出てこないので、次回訪れた時の撮影課題です)
葛城王朝の時代もあったとされることを思うと、天の香具山あっての大和三山であることが想像されます。
勝手な妄想ですが、大和三山は正確に三角の位置にあるわけではありませんけれど、耳成山があまりに綺麗な形をしているので、
もともと自然の形にあったのは天の香具山のみで、畝傍山・耳成山は、もともとあった小山に、ある時期、人の手で整えられて、平地の中の島のような三山の形態になったのではないかと考えたことがありました。
古代、前方後円墳みたいな大きなものを作る技術がある時代ですから、なんらかの象徴を意識して山を形作ることはあったように思います。
三輪山はピラミット、大和三山はUFOの宇宙基地……なんて話は、けっこう昔から言われているようですけれど、
私も、ずっと『萬葉集』に惹かれてきて、二十歳で生まれて初めて奈良を訪れ、三輪を臨み大和三山に囲まれたこの地に立った時、ここは古代のままの波動が根づき、宇宙そのものの波動が満ち満ちている、まさに「都」だと感じました。
理屈でも先入観でもなく、ここに立つと、山の上には当たり前のように宇宙空間が繋がっていて、そこからいろんな波動がおり、天にも地にも満ち満ちている……それが和歌のリズムになって、歌として、心にあふれてくるのを感じるのです。
そうして思ったのが……古代というのは、昔、過去ではない。
古代を知ることは、むしろ未来、そして普遍的宇宙と繋がり一体となって、自分の魂の源となる次元時空を奏でる扉を開ける入口なんだと。
これは、生まれ育った富士山麓で、いつからともなく感じていた意識でもありましたが、
大和の黎明の地に実際に立って、実感した、ここが私にとっての原点となりました。
彼方に見えるのは、畝傍山、その向こうが葛城連山です。
この感覚は、私だけのものではなく、
香具山の中には、星が生まれたと伝承される磐座があったり、実際に光がおりてくるのを見たという話は、地元でもよくあるらしく、
『ムー』などを知らないような、ごく普通の飛鳥に住むご老人が、ここは宇宙と繋がり光が降ってくる土地だと、当たり前のように話していたことがありました。
それこそ、「隣の田んぼにはでっかいカエルが出てよぉ」みたいな、不思議でも何でもない日常の話のように、どこか誇らしげに話してくれまして、
私も興に乗って何時間も語り合ったのですが、あとから、「よそ者のあんたが、あの無口なじいさんと意気投合するなんて、すごいな」なんて、他の人から言われましたっけ。
懐かしさと同時に、心に馴染み、この波動に溶け込んで心を躍らせたくなるようなところ。まさに心のふるさと。
一日、天の香具山を歩いた後、夕暮れ時の藤原宮跡に立ち、琴を弾きました。
今、自分の手元に琴があり、歌うことができるのは、幸せに思います。
彼方に龍のように横たわるのが、天の香具山です。
スマホでアングルを定めずに撮ったもので、以前の録画記録は音があまりクリアに大きくありません。
最近は、写真は写真、動画は動画として撮り、音は別にレコーダーで撮って、この場所での景色と音を編集することが多いのですが、
ワイヤレスマイクとかでスマホに音をとばして同時録画できるものがないものかしら、と探しているところです。
琴奏・雨は追憶のトレモロ ~龍田風鎮祭 直会の午後の雨~
昨夜、スターシード宇宙フェス・前夜祭に参加するにあたり、最適な環境として都内のビジネスホテルを予約して、無事に果たしました。
生活用品など何もない、装飾もない白い壁のシンプルな部屋、適度な明るさの照明の中、身支度や、カメラ位置の確認、予行練習その他、無駄なく整えることができ、
神社様やスタジオをお借りできない今、特に猛暑の中でのことですから、ホテルの個室でシャワーできて涼しくメイクやら準備ができて……ちょっと贅沢とも思ったけれど、ホテルを選んだのは大成功と思いました。
……が。
連日の猛暑晴天続きの日々だったのに、よりによって、まさかこの荷物抱えた移動日の両日、台風が近づいてけっこうな雨になってしまうとは。
そこそこの降りならともかく、楽器や着物を抱えて風まじりの大雨はキツイ。
駅までタクシーを頼むには近すぎるし、雨の中を歩いていくには遠い半端な距離。
幸い、上陸はしないし午後には回復する予定ではあるので、せめて小降りになるまでと、チェックアウト後のホテルのロビーに、ご厚意でスペースをお借りし、雨やみ待ちをさせていただきつつ、
窓の外の、雨と風を眺めながら、これを書いています。
手際よく立ち働くホテルの清掃の音と、パタパタと大粒の雨の音に包まれて、
私だけが非日常に次元移行したような、どこかアンニュイな昼日中の風情。
ひとりで雨を聴いていると、イルカさんの『雨の物語』や、小林麻美さんの『雨音はショパンの調べ』を思い出す……雨音は心をたたく追憶の調べです。
そういえば、雨の音の中で奏でたことがあったなと、過去のYouTube動画を思い出しました。
たしか三年前です。奈良県三郷町の龍田大社様、私の第二の産土というべき長く深いご縁を賜るお社でのこと。
久しぶりにこちらの主要祭祀である風鎮大祭に参列し、伝承・龍田山山頂(和歌や物語に名所として名のありながら“龍田山”という名の山はありません。これはまた別にお話ししたい)にある風神降臨地「御座峯」でのご神事も終わって、崇敬者さんのみで直会が行われて、それも三々五々解散となりつつある頃。
私もそろそろ失礼しようと立ちかけると、唐突に、雷と共に大雨が降りだしました。
しばらく動けない……
この時、物悲しい思いを抱えていたのですけれど、龍田風神様が「行くな」と雨で足止めしてくださったような心地がして、軒下でひとり雨を眺め、神様に心のうちを語りかけながら、ひっそりと弾いた時の音です。
私の琴奏は、曲ではなく、指任せの爪弾きです。
弦の響きに呼応する“何か”と、会話する声です。
琴のねは、水の祭祀と深い関係がある。
弦の響きは、水をいざない、また水を鎮める波動。
そこからは、人の言葉とは異なる、天の言霊の響きが読み取れます。
琴のおかげで、私はそれと呼応することができる。
「天の詔琴」という神宝が神話に出てきますけれど、私は琴とは神聖な響きを持つ神の声を再現するものと解釈しています。
雨と琴に、古い記憶も慰められます。
2021スターシード宇宙フェス ・前夜祭 参加で虹が~
このブログ書いてるリアルタイムで、YouTubeチャンネルのライブをやっています。
私のではなくて、スターシードチャンネルという、マンモスチャンネルです。
8月8日に、世界のスピリチュアル界の有名なかたが集う“宇宙フェス”がおこなわれるのですが、
その前夜祭として、8月7日の今日、スターシードサロンのメンバー有志による前夜祭が行われています。
そちらに、今回初めて参加させていただきました。
【StarSeed】2021スターシード宇宙フェス 前夜祭 ~古代のコドウ~ - YouTube
大勢が参加するので、ひとり及びいちグループの持ち時間は5分くらいですが、私はわりと最初の方、18:30くらいに出演しています。
新参者で初参加でもあり、不慣れで、あらかじめ何度もZOOMの音の調整などを録画しつつ繰り返したのに、本番ではずいぶんハウリングしてしまったようです。
《追記:32分くらいに私の番になっています。
チャットコメントを拝見して、感激して泣けてしまいました…ちゃんと伝わってるのですね、嬉しい。
というか、皆さん優しすぎて…
あとから見直してみて、ハウリングしていたのは私ではなかったそうで、
衣装を映そうとすると顔が入らないというアングルにしかならなかったのが難しかった💦》
夢中だったから、自己紹介でちゃんと活動を説明できてない気がする……
今回、衣装を、主催側で司会をなさっている猪俣和美さんがご厚意で創作してくださったので、なるべく衣装が写るようにと思い、
自室では狭いので、思い切ってビジネスホテルの部屋を借りて、配信に参加しました。
静かだし、身支度もしやすくて、ホテルにして正解でした。
今、ホテルの宿泊料安くなっているし。
背後の壁が白いので、衣装の彩りが映えたかなと思います…が、自撮りではなかなか決まらない。
今度お舞台の時に、ちゃんとこのお衣装で写真を撮っていただこうと思います。
かなり早めに終わったので、あとはゆったり、素晴らしい皆さんのご活動を拝させていただくばかり。
酔っちゃったらもったいないので、ノンアルビールでひそかに乾杯しながら、夕ご飯食べていたら、
Facebook友でスターシードのUsako S Fumikoさんから、
「真琴を音色を聴いていたら、大きな虹が幾重か
出ていて、終わったら消えましたよ」
と、ご連絡があり、写真を送ってくださいました。
虹の向こうは、私の産土の富士山ですよ、と言っていただけて、感激✨
今回の宇宙フェスのテーマは「古代のコドウ」だったので、私も参加希望したのですけれど、ちゃんと繋がるべきに繋がっている感覚が半端ではなくて、
本当に光栄で幸せなこと続きだった、“宇宙のまつり”でした。
これ書いている今も、ライブ中です。
素晴らしいかたがたのみわざに見とれ、聞き惚れながら、スペシャルな今夜を楽しんでおります。
記録・七社神社 七夕祈願祭
東京都北区西ヶ原にある、七社神社。
江戸の花見の名所で有名な飛鳥山のお隣に位置し、
今年の大河ドラマで話題の渋沢栄一翁が、大成後に飛鳥山に邸宅を構えたことから、さまざまなゆかりが伝わる名社でありつつ、
喧騒から離れひそやかに鎮まる、地元の憩いのお社です。
ご由緒書によれば、江戸期の火災により記録その他すべてが失われたため、詳しい伝承は不明、ただし創建は古いとみられ、かつては現・古川庭園のあたりの寺内に祀られていたが、明治期の神仏分離により現在の地に移されたと伝わります。
現社地にはもともと“一本杉神明社”が祀られており、この地域における鎮守でした。
七社の名の通り、ご本殿には七柱のご祭神が祀られ、七所明神とも記されています。
最近発行された、武藤郁子氏著『縄文神社』(20210616飛鳥新社刊)に、太古、東京湾はこのあたりまで達しており、縄文遺跡や貝塚などが発掘調査されていることを指摘、
当初想像されていたよりも、神地としての歴史は遥かに古かったのではと、改めて注目されているお社です。
付近の縄文遺跡より発掘された石棒を模した、こちらの神社特製の縁起物「子授け石棒」。
子宝・子孫繁栄と子育てのご利益の、こちらの神社様ならではの授与品で、子宝以外にも、新規事業や新しく立てた志が、大きく育ち発展するようにとのご利益が提唱されています。
私は三年ほど前から、こちらの神社様にご縁をいただき、これまで、新年と秋大祭の宵宮にご奉納させていただいていたのですけれど、
今年は、七夕祈願祭のご神事にも参列させていただき、琴奏をお許しいただきました。
七月七日、午後七時催行の、七社神社の七夕祭。
七並びのお社ならではの、喜ばしい行事です。
本来であれば七夕祭は、近在のかたがた、お子様方が楽しみにされて集い、五色の短冊に願い事をしたためてご神前にて祈願するお祭りなのですけれど、
昨年よりのコロナ禍にて、さまざまな行事や祭典の中止や縮小が余儀なくされ、
今年も、氏子崇敬者・参拝者等を招くことなく、ごく内々にてひっそりと星に願いを届ける行事となりました。
その様子を、近在のYouTubeチャンネル『うきま.jp』が取材に訪れ、動画に編集してくださり、私も少しだけ琴奏の様子が写っています。
七社神社 七夕祈願祭 「コロナ終息」は世界の願い 令和3年(2021年)7月7日 東京都北区西ヶ原 2-11-1 渋沢栄一翁ゆかりの地 - YouTube
動画内で禰宜様が申されておられるように、今年の短冊には、「早くコロナがおさまり、平穏な日常が戻りますように」の願い事が多く見られました。
その祈りが天に届いたしるしか、
毎年、七月七日に星が見えるほど晴れることはなかなかないのに、この日は当初、雨予報だったにも関わらず、
なんと夕刻には晴れ間が見え、わずかながらも星月夜の七夕となり、明るい兆しが感じられる宵となりました。
心穏やかに、人が集まり楽しめる日々が戻ることを信じられる、今年の七夕祭でした。
七社神社様での記録は、これから折々アップしていきます。
琴奏・綱越神社の祓詞 ~風の声を感得する~
余談ですが、ブログ名を『風招く琴の調べ』としたのは、
ひそかにひとりで琴を弾くと、必ず風が、応えるように木々を揺らしてさざめくからです。
神社や史跡や公園など、高木が立ち並ぶところであれば、風が木々を揺らすのは自然なことかもしれませんが、私はそれを感じると、無性に嬉しくて心が躍ります。
私の父祖の地は、富士山の風を祭る川のほとりで、明治以前までは文字通り風神祭が執り行われていたそうです。
それを意識したのはずっと後になってからですが、実地探査で足しげく奈良を訪れるようになった大学以降、三輪と同様に通い詰めたのは、風神を祀る龍田大社で、風祀る風土について論文のテーマにしたこともありました。
龍田風神は、廣瀬の水神と共に、壬申の乱の後、毎年春秋に勅祭が行われ、延喜式祝詞には三輪の神の起源と対となるような、崇神天皇の時代の疫病や不作により祭祀された由来が語られています。
それは単に神祭りの地としてではなく、実は戦乱などの時にそのあたりが要衝となるために朝廷で管理する意味合いもあったのですけれど、河内と大和の境界であり、大和中の水運を集めた大和川(古代における龍田川)が海へ向かい流れ出ていく地でもあり、古くから風にまつわる信仰があったことを伺わせます。
龍田風神と風土を研究テーマにしてから、龍田に点在する史跡に立ち、原初的な感覚で風というものを読む試みを何度もしていて、
風というのは上空を渡る気流が木々を揺らすだけではなく、木々がなんらかの意志を持って枝を揺らすことにより、大気を揺らして風を起こしていることに気づきました。
木々が何かを感じ取るのは、天空へ伸びる枝からだけではなく、大地に広がる根からも土中や土地の氣を感得し、それらが大樹の中で一体となって波動を発し、それが風として大気に流れている。それが自然界の全てと交信する手段となっていて、いわば天と地との会話を樹が仲立ちしているように感じるのです。
それゆえ古代では、神域の年経た高木を、神宿る依り代として、ご神木としたのでしょう。
埴輪が膝に抱いているような古代琴は、もともと水辺の祭祀に用いられた波動神具とされています。
今のようなよい音色の琴が作られるのは、おそらく仏教伝来と共に渡来した、唐琴の技法によるもので、原初の琴は、弦をはじいて神聖な波動を再現する道具だったと推測されます。
そうした印象があるためかもしれませんが、私が弾く琴は、水のせせらぎととてもよく和しますし、弾いていると必ず風がさざめく。そして鳥が声をあげてくれます。
それを感じる時、私が爪弾く琴のねの波動に、自然界の息吹が応えてくれたと感じられ、はるかいにしへの魂と相和しているような、満たされた幸せな心地に包まれるのです。
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さて、これも過去記録ですが、奈良県桜井・大神神社の大鳥居のほとりに、綱越(つなこし)神社という、小さな摂社があります。
通称・おんぱらさん。大祓祝詞の祓戸の神々が祀られています。
ちょうど今日、7月31日に、“おんぱら祭り”と呼ばれる例大祭がおこなわれます。
大神神社のシンボルとも言うべき、青銅製では日本一とも言われる大鳥居。
電車で三輪駅に降りると、大鳥居は大神神社へ向かう方向とは反対のため、眺めるだけで済ませてしまいがちで、その傍らの綱越神社は、意外に知られていません。
路線バスで訪れ、大神神社参道前で降りると、有名なみむろ最中本店の裏側に隠れるようにあり、大鳥居をくぐっても気がつかれないことが多い。
参拝駐車場が近くにあるものの、あまり意識されないようで、参拝のかたをほとんど見ることがありません。
それだけに、私には居心地のいい穴場スポット。
三輪山を感じながら、静かに、祈りに集中できます。
可愛らしいお社。
お社ごしの大鳥居は、まるで大魔神のようで、お気に入りの景色です。
大鳥居の前、このお社の背後は国道169号線が通り、交通量が多いため、車の喧騒に囲まれたようなエリアなのですが、不思議なほどここでは、それを遠く感じます。
三輪山への、ここからがご神域。浮世の垢を最初に落とし清めるための境界地。
三年前、ここで初めて琴を弾いた際、初めて、祓の祝詞が調べとなって流れ出ました。
私が和歌や祝詞を、調べとして歌うようになったのは、ここが始まりの地。
ここでも、常のように風が木々の上枝をさざめかせ、鳥の声が響きます。
車の音さえも、風の響きに同化して、包み込んでくれます。
音記録・富士山本宮浅間大社 湧玉池にて奏上 ~琴奏のきっかけを含む~
8月の初旬に、あるイベントにオンラインで参加する予定になり、自己紹介代わりの活動SNSをひとつ提示する必要がありまして、
FacebookやInstagramなどいろいろに書いているけれど、今後はそうした必要の際、このはてなブログを使おうと思っています。
そのためもあり、ブログの表題通りの音記録を、まとめ直す作業を進めます。
これまで書いたものは、ほとんど人目に触れることがない形で書き散らしたものだったから、改めてきちんと記録しておきたい、そのためにこのブログを開設したのだから。
はてなブログ自体、まだ初心者で、これまで中途だったデザインなどのカスタマイズも、少しはなんとか見栄えよくしないといけないだろうし、
はてなガイドブックや、ネット上のマニュアルやYouTube動画などを見て必死にやってはいるけれど、機械オンチが災いし、誰かわかる人助けてぇと言いたくなる有様……
まぁ少しずつやっていくしかないか。
ともあれ、ブログの表題に沿った記事をまとめるのが最優先課題です。
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さて、私は真琴という、個人が創作した現代楽器を奏で、神社などで和歌や祝詞を歌いおろす活動をしています。
真琴にもいろんな形があるのですが、この勾玉型に運命的なものを感じ、今はこの一台と一心同体感で、常に共に在ります。
公の場でご奉納という形で承ることもありますが、もともとは、それまでライフワークだった神社仏閣や史跡へのフィールドワークに連れて行って、ひっそりと弾くだけのつもりでした。
古き良き神聖な場で、何か楽器演奏をひっそりと人知れず、祈りとして奏でたいという思いは、ひとり旅を始めた若い頃からの夢でした。
一時期、横笛(能管)を持ち歩いていましたけれど、能舞台で吹かれる笛は、横笛の中でも最も音が大きく響きが鋭いため、ひっそりと…とはいかず、どこで吹いても大注目だし、境内での音曲禁止の場所では大ヒンシュクになってしまう。
そもそも旅先で目立つのもイヤでしたし、子供の頃から習い事やいろいろな演奏経験はあるものの、人が聞いて、明らかに巧い下手とジャッジされるような、誰もが知る楽器にも抵抗がありました。
そうして長年の宿願が叶い、数年前に出逢ったのが、この勾玉型の琴。
個人製作の新しい楽器なので先入観もないし、響きは美しいけれど、弾き方でささやかね音色が可能。大きさも持ち歩けるギリギリサイズ。
ひっそりと奏でるには最適でした。
勾玉が大好きな私には運命的に思えたし、初めて出会ったのも、まさに旅先での奇跡のような出来事でした。…その話はまた改めて。
手にして以降、まさに旅の友。常に共に在り、どこへでも共に参って、折々奏でています。
旅・フィールドワークといっても、私が行く方面はだいたい決まっていて、もともと古代文学の研究分野だった、近畿方面の実地見聞が主。
気になると同じ場所に何度でも行き続けるので、同じロケーションが多くなります。
今回は、生まれ故郷の富士山麓周辺。
私の産土神社は、富士山本宮浅間大社で、今のように世界遺産やパワースポットとか騒がれる前は、広大で歴史豊かで市街地の中心にありながら、比較的静かな憩いの公園といった風情でした。
親元で過ごしていた頃から、ひとりでここにいるのが好きで、今も懐かしい故郷の象徴です。
だから、真琴を手にした時、まずここで弾きたいと思いました。
この、富士山からの清水湧き出る、湧玉池のほとりで。
その願い通り、帰省の折り、5月の例大祭・流鏑馬神事に参じた際に、
神事がすみ、人がまばらになった夕日時に、池のほとりでひっそりと弾いた際の、音記録です。
見返してみると、いい風情での光の放射が顕れてくれていました。
真琴・富士山本宮浅間大社 湧玉池にて奏上 - YouTube
コロナ禍で旅や遠出ができる状況ではないため、しばらくは過去記録です。
これは3年前の音。
古き良き史跡・聖地などの空気は、琴の弦の響きと共鳴して、その土地の音を奏でます。
そのロケーションも含めて記録し、伝えたくて、動画で撮っていますが、
ひとり行動でもあり、ともかくカメラを置ける場所に安置するのがせいいっぱいのため、風景を選ぶ余地もなく、光の流れや風のさやぎ程度しか動きがない動画になっています。
琴奏も、演奏というほどしっかりしたものではなく、その時の心任せ、指任せで爪弾いているだけの「音・響き」。
それでも、少しでもこの場の波動を感じていただけたらと願い、記録してきたものを公開しています。
琴奏・三輪大神に奉る
腹をくくる心持ちで、琴奏の記録を更新しつつ、このブログについても再検討の作業をしています。
ブログ名が変わったり、しばらく少しずつ試行錯誤がありますので、ご了承くださいませ。
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前のブログで、琴を手にしてから、まず故郷・産土神社で弾きたいと願ったことを書きましたが、
同様に、私の生来の憧れの地・奈良の、長くご縁ある史跡や寺社で奏でたいという宿願もあり、
少女の頃から恋に似た心地で惹かれ、足しげく通い続けた、三輪に参り、
お山付近の、人がなるべくいないところを見計らって、奏でました。
三年ほど前、巳の神杉近くで奏でた記録です。
こちら大神神社様は、さまざまなご神徳・ご利益で知られますが、そのひとつに芸能上達・福徳成就があります。
能楽『三輪』に、三輪の神は伊勢の神と一体分身と歌われ、暗闇を照らし人々の顔を光で「面白や」と照らす、岩戸神楽の様子が描かれていることもあり、さもあらんと思います。
ただし、いくらあやかりたくても、人目に立つような演奏を神社内で披露するのはマナー違反。
この動画では、楽器の前で録音したので響いて聞こえますが、実際には、人が近くにいない時を見計らい、ひとり目立たぬ場所で、短時間、お祈りくらいの音量で弾いています。たまに通行人がいても気づかれないくらいに。
この琴の有難いところは、ささやかな爪弾きだと、ほとんど人のささやき程度の音量に抑えられること。
なるべく人の少ない日時を選び、土地神様にだけ届くような、ひそやかなご奉奏をするのが、こうした場所での私の心得です。
公にご依頼やお許しを得た機会以外は、正式にはご奉納とは言いません。
記録の上でも、そこは区別してアップしています。
個人奉奏の際は、私は琴のねを通して、人知れず土地そのものと語り合うような心地にて、ひっそりと巡拝をしております。
弾く・吹く・打つ ~音の楽しみから活動へ~
我が家の神祭り埴輪たち。
右は、知人が作成した、さる由緒ある板を琴とした作品。原初的な琴の形に近いです。
文化的に、どこかで繋がる起源があるものもあるのでしょうけれど、
世界のどの古代文化にも、
・糸状の弦を張り、指や、バチやピック状のものではじいたり、獣の毛などでこすって音色を出す、弦楽器。
・穴に息を吹き入れたり、リードを震わせるなど、空気を音にする吹奏楽器。
・石や木や鉄のようなもの、皮などを叩いて音を出す打楽器。
それぞれが原点として存在しているのは、当たり前のようであって、ある種不思議にも思えます。
それも、たいていは神聖な音や響きとして認識され、主に祭祀や自然信仰の儀式において、用いられるのが原初で、それらが文明と共に開発されて、楽器として発展していくわけですが、
もともとそれらの楽器を持ち、音を出せるのは、ある種、特殊な人たちに限っていた時代もあり、優れた音色を出せる人ほど、神に近く、また尊い聖人とされてきました。
日本でも、いわゆる楽人集団は、もともとは神人集団でもありましたし。
特に古代中国でも古代大和でも、琴を弾くのは極めて人格の高い君子であり、一族・一国の長の証でもありました。
今は、琴というと気品ある女性のたしなみのようなイメージが強いけれど、古代、琴は男性のつとめでした。
琴弾き埴輪も、みずらを結った男性ですし。
たいていの琴弾き埴輪は、楽しそうに笑っていますが、これは一種の恍惚状態で神の領域に繋がっている様子と推測されます。
祭祀の場において、位の最も尊い者が琴を弾き、その響きにより巫女である女性が舞いながら神がかりして神ごとをおろし、仲介者である審神者が読み解き和歌として神託を伝える。
それが古代における神祭りの形態でした。
……このへんの古事記日本書紀に見る物語や、琴の役割等は、おいおい、テーマとして書いていきます。
私もまだこの分野については探究中なので、琴以外はあまり詳しくないのですが、
笛や太鼓は、琴ほど記録に出てこないように思います。
祭祀遺跡からもあまり出てこないような…もちろんなかったわけではないでしょうけれど、おそらく現存しにくいのでしょうね。
太鼓など打ち鳴らすものは、たとえばアメノウズメノミコトが天の岩戸の前で踊った時に踏み鳴らしたような形が原型かもしれませんが、
各地の雨乞い神事などで、天に向かってクレクレする際に叩くなど、気分を高揚させるリズム、地団駄を踏むのとも繋がり、神がかり巫女の動作とも共振する印象が。
鼓動と連動する意味では、鈴も打楽器と言えるでしょうか。
これは私がアイディア出しをして作ってもらった、「麻の神鈴」。
私と作家さんとのオリジナル作品です。
縄文遺跡からは、石笛がよく出てくると聞きます。
石に穴を穿ったもののように見えますが、人工的なものではなく、石に身を潜ませる貝があけた天然の穴を、息の加減で音色とするもの。
貝が生きるために長い年月をかけて穿った穴から、不思議な響きの音色が吹き出される神秘。人の手による天然石の石笛もあるけれど、天然のそれとはとても真似できたものではないと聞きます。
発掘物以外でも、川や海辺を丹念に探すと今も見つかるもので、三島由紀夫の作品にも、神や幽体の声を聴く際の場面で描かれています。
私もいくつか持っており、ご神前奉納の際には、麻の神鈴と共に用いています。
息吹を音色とするのだから、その人の霊威に極めて影響するように思うのですが、笛が導く神聖な意味合いは、琴のそれとは異なるようで、もっと探究してみたい課題です。
私の石笛の写真。
そして、私の勾玉型の琴。
この琴は、比較的近年、個人の作家さんがインスピレーションで造った「真琴」という創作琴のうちの一種です。
この琴とは、不思議な成り行きで、伊勢神宮外宮内の神聖な森の中で出会いました。
以来、私にとっての「天の詔琴」。
真琴そのものは、持つ人ごとに自由に使える仕様なので、決まったスタイルも演奏方法もありません。本当に人それぞれに全く異なる使い方をしています。
私はもともと、古代和歌の研究者であり、神社や宮中・門跡寺院などでの経験、能楽の心得もあり、弦楽器や笛などもやっていましたけれど、
私はこの勾玉型の琴に出会った瞬間、これしかない!と天啓を受けたように、「古代祭祀の琴」を写してイメージしました。
埴輪が抱いているような原初型の琴は、たとえば雅楽器の琴のように美しい調べではなく、おそらく、弓の弦をはじくような、単調な響きで空間を振動させるものだったろうと思われます。
響きは波動であり、音そのものよりも、自然界の目に見えぬ大いなる力のようなものを再現するものとして、神と同調する祭具とされたのではないかと推測されます。
真琴の響きは、金属弦の美しい音色であって、理屈抜きに心地よいもの。
けれど、その響きの中に、私は古代琴の深遠さを見出しました。
この琴を弾きながらだと、ごく自然に歌が読め、祝詞調の言葉が流れ出てきます。
そして、この琴を手にして以降、私自身が働きかけたわけではないのですが、まったく未知の方面から自然にご縁が繋がり、いくつかの神社様でのご神事で、ご奉納の栄を得ました。
はじめは、ひとりでひっそり、これまでもおこなっていたフィールドワークの旅で、ひっそり弾けたらと思っていた程度だったのに、気がつけば神舞台に立っていた。
続いて、これまでの学びを活かし、古代語りや和歌を伝えるワークショップなどの機会も得、ようやくこれまで生きてきた甲斐があったような心持を得るに至りました。
コロナ禍以降、停滞となりましたけれど、せめてこの機に、こうしたブログなどネット上で表していけたら。
これが、このブログを開設した動機です。
少しずつ、これまでの活動なども記録しつつ、私も持つものをアップしていきます。